「私の『自殺行為』は、先生にだけ伝わりました。点検作業が終わってすぐ、私は先生に呼び出されました。私は院長室で、彼を好きになったこと、彼と一緒に居たいという思いから、自らプログラムを操作したことを正直に話しました。先生は、黙って私の話を聞いて下さいました。私が最後まで話し終えると、プログラムの変更が告げられました。…それは、私にとって『死』を意味します。今までの私に蓄積された、感じたことや考えたことは消され、行動や出来事のみが『記憶』として残りました。その日から、私は別の私となり、仕事内容も請求や会計業務専門となりました。人格形成データに変更はないものの、感情の一部にロックがかけられ、誰かを好きになることはありません。もちろん、彼は私の担当から外れ、会うこともありませんでした。」
ササキさんは一度、将来を消されてしまっていたのだ。彼との未来を絶たれた彼女は、もう恋をすることができない。退屈な今を消費することしかできない。
「彼と会えなくて、悲しいですか?」
「いいえ。私にはユミさんが思っているような感情はもう、ありませんよ。」
「でもササキさん、時々寂しそうに笑うから…。」
「それは、私との会話の流れからユミさんが感じ取っているだけですよ。今の私には、彼に恋をしていたという事実しか残ってません。」
そう話す彼女の顔は、やはりとても寂しそうだった。
「…さて、話しすぎましたね。長居させてごめんなさい。」
「…いえ、こちらこそ。ありがとうございました。」
ササキさんは立ち上がって、戸締りをしに行った。
「さて、戸締り完了です。今日はユミさんと長く話せて、楽しかったです。」
「私もです。ササキさんといつも話すのは、患者さんの悪口と最新の芸能情報ばかりなので、新鮮でした。」
「あら、悪口はユミさんが話すだけで私は聞き役ですよ。それに芸能情報だってユミさんが教えてって言うから…。」
「ササキさんも聞いちゃっているので、同罪ですよ。…また明日配信の芸能情報教えて下さいね。」
「ふふ、いいですよ。ユミさんいつもリアクションが豊富なので、伝えがいがあって私も楽しいです。あ、帰る前に私の電源切ってもらえませんか?」
「えっ、いいですけど…。ちょっと失礼しますね。」
ササキさんの電源を切るのは、初めてのことだった。電源ボタンを押すために、サラサラの髪の毛をかき分けた。触れた肌はひんやりとしていて、少しドキドキした。ボタンに手を伸ばすと、首筋に小さくアルファベットと数字が刻まれているのに気がついた。