小説

『盗人と天女』多田宏(『竹取物語』『羽衣伝説』)

「天界の秩序を乱すからですわ。考えてもごらんなさい。もし天帝様が誰かのウソを信じて間違った命令をお出しになったら天界はどうなるでしょう? それほどでなくても、ウソは絶対につかないという定めがあるから、皆、信じ合っていられるのですわ」
「なるほどな。で、地獄に落とされるほどじゃないウソつきはどうなるんだい?」
「天界から追放され、人間界に堕(おと)されます。人間の世界がこんなに揉め事が絶えないのは、きっとそのせいでしょうね。おほほ」
「じゃ、人間界に来ると天人も天女も人間と同じようになるのかい? 食事もしたり暑さ寒さを感じたりとか」
「そうですわね。もちろん神通力も失われます。あと違うのは時間の流れでしょうか。天界の一日は人間界の一年なのです。さあ、こんなところで良いでしょう?」
「おかげで色んなことが判ったよ。もう一つだけ教えてくれないか? 俺がお前さんに羽衣を返さなかったら、どうなるんだい?」
「今も言ったように天界の一日は地上の一年ですから、この地上の一年以内に戻れば私は許されます。天界の明日の朝、つまり人間界の二年目の朝になっても私がいないとなると、黄金(こがね)の鎧(よろい)を身にまとい、黄金(こがね)の盾と破邪(はじゃ)の剣(つるぎ)を持った神兵(しんぺい)たちが雲に乗って私を探しに来ます。
 そればかりではありません。あなたがどこに隠しても私の羽衣は見つけられ、それを持っているあなたは神兵に殺され、死んでも許されず、地獄に落ちるのです。もう、お判りでしょう? 私は天界に帰りたいだけで羽衣を返してくれと言っているのではありません。あなたがそんな目に遭わないためにも言っているのです」
 助左は地獄行きの恐ろしさに震え上がった。この天女がウソを言うわけがないし、怒りをぶつけるでもなくやさしく諭(さと)すように羽衣を返すべき理由(わけ)を説明されて、さすがに助左も家の裏手の床下に隠した羽衣を返そうという気になった。
 しかし、公卿の家宝を盗んで目に物を見せてやろうとして来た助左である。物凄く強そうな神兵とやらに対する根拠のない反発も覚えて、言い募(つの)った。
「良く判った。けどよ、俺の言い分も聞いてくれ。俺は、お前さんに惚れちまったんだ」
「惚れた、とは?」
「ああ、どんな人間の女より好きになったんだい」
「そういう事ですか」
「だからさ、俺の嫁になっちゃくれねえか? この人間の世界で一年は大丈夫なんだろ? だったら、その一年だけでいい。俺と一緒に暮らしてくれねえか? 来年の春までの話さ。お前さんの望む事なら、何でもする。お前さんを自分のお袋みてえに大事にするからよ。なあ、頼むよ」

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