小説

『盗人と天女』多田宏(『竹取物語』『羽衣伝説』)

       一

 京に都が移って百年ほど経った頃、奈良の生駒(いこま)の山中に助左(すけざ)という猟師がいた。だが、助左の正体は「ましら」と言う二つ名を持つ盗人(ぬすっと)である。今年二十七になるが、五年ほど前、二親を亡くしてからは親の残した猟師小屋に住んで、遠く摂津や京に足を延ばして盗み働きをしているのである。
 山野を駆け巡るのが仕事なだけあって足腰は達者だし、知恵も良く回る。そうでなければ猟師など出来ぬ。助左は熊を獲(と)ったことは無いが、猟師だった父親の話では熊は賢く、わざと足跡を残しておいて、その足跡を巧みに踏んで後戻りして猟師を騙し、その背後(うしろ)から襲うくらいの事はするそうだ。
 実際、鹿を弓矢で屠(ほふ)るのでも、気取(けど)られぬようだいぶ離れたところに身を潜(ひそ)め、鹿が少し気を緩めて立ち止まったところを狙わない限り絶対に仕留められない。たかが狐や兎にしても警戒心は強いし逃げ足が速いから、じっと隙を狙って機会を待つか、罠を仕掛けて辛抱強く何日も待つしかない。
 小さな時分から猟師稼業で己(おのれ)を鍛えて来たおかげで、猿(ましら)の如く敏捷で、狐の如く狡猾で、農夫の如く忍耐強く、鹿の如く用心深い助左には盗人(ぬすびと)稼業はまさに天職である。しかも、この稼業のおかげで助左は世間を広く知っている。雪に足を取られる愚を嫌って春、夏、秋の年に三回だけ摂津や京の都に旅の商人に扮して物盗りの旅に出るからである。
 助左の狙う獲物は、最初は猟の道具や暮らしに入り用な米や味噌、着物の類でコソ泥同然だったが、近頃では公(く)卿(ぎょう)の屋敷に忍び込んで家宝の太刀やら黄金(こがね)細工の髪飾り、瑪瑙(めのう)や翡翠(ひすい)の佩(はい)玉(ぎょく)、唐(から)渡りの壺や皿など高価な品になっている。十二単(ひとえ)や帯など姫君の衣裳を頂戴して来た事もある。無論、持ち主の鼻を明かすためで、金のためではない。金が狙いならば金を盗めば済む事だ。とは言え、盗人(ぬすっと)旅(たび)の路銀くらいは大店(おおだな)の蔵(くら)から盗んで来る。
 世間体が悪いから公卿たちが盗難に遭ったのを隠していても、こういう話は世間に漏れ広がるものである。胸をすかした庶民は大袈裟に語り伝えるから「盗賊ましら」の名前が評判になったわけだ。
 生駒の山奥の猟師小屋とは言え、盗みの才を生かして里から手に入れて来た米、味噌、干し魚、酒樽などが蓄えてあるばかりでなく、土間を上がった板敷の間(ま)には大きな囲炉裏(いろり)が切ってあるが、その奥は、この時代では、貴人ならでは坐るのを許されぬ畳が六枚も敷き詰められ、ちゃんとした座敷になっている。おまけに、小屋から三丁(三百メートル)ほど登ったところに温泉が湧く池があるから風呂の心配も要らない。助左は京の都の裕福な商人並みの贅沢を一人こっそり愉しんでいるわけだ。

 陽炎(かげろう)も立とうかという春の昼下がり、猟を終えた助左が温泉池(いけ)の近くまで山を下りて来ると妙な気配がする。秋の終わりや冬には猿や鹿が湯に浸(つ)かりに来ることもあるが、こんなうららかな日だ。警戒した助左はさっと木立の中に身を潜め、息を呑んで様子を覗(うかが)った。目を凝らすまでもなく、すぐに何が起きているか判った。

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