小説

『盗人と天女』多田宏(『竹取物語』『羽衣伝説』)

四人の娘がのんびりと温泉に浸(つ)かっているのである。これには助左も驚いた。人間などまず見かけない生駒の山奥である。いったいどういう事だ? 慎重な助左はなおも様子を覗っていたが、じきに娘たちは温泉池の中で泳ぐような真似をしたり、立ち上がって、両手に掬(すく)った湯を互いの顔に掛けたりと天真爛漫に遊び始めた。まるで女(めわ)童(らわ)の戯(たわむ)れである。
 しかし、濡れて身体にぴったりと巻き付いた白い肌(はだ)襦袢(じゅばん)、束(たば)ねられて腰の下まで垂れている黒髪は娘たちが臈(ろう)たけた一人前の女の証(あかし)である。しかも、四人いずれもすらりとした色白で何とも言えず美しい。助左が想像していた都の姫君が打ち揃っている風情である。
 助左は一瞬、くらくらしたが、すぐに気を取り直し、辺りに目をやった。すると、傍らの木の枝に目もあやな衣(ころも)が掛けてあるのに気付いた。ひい、ふう、みい、よ。疑いなく娘たちの衣裳である。いつぞや助左が公卿の屋敷から頂戴して来た十二単のように艶(つや)やかで、絹地のようだが、微(かす)かな風に揺れる度(たび)に色が変わるのは玉虫(たまむし)を見ているようだ。
 助左は少し考えてから、一枚だけ頂戴することにした。全部盗んでしまえば娘たちが取り乱し、嬌声を上げて騒ぎ出すだろうから、それを避けたのである。この時、助左が色情にかられて狼藉に及ばなかったのは、一度に四人もの揃って美しく気高い娘たちを目にして気圧(けお)されたからだろう。
 懐(ふところ)に玉虫色の薄い衣(ころも)を捩(ね)じ込んだ助左は、また林の中に身を隠して様子を覗っていたが、じきに娘たちは湯から上がって来た。ふと足元に目をやると、娘たちは白足袋だけで沓(くつ)を履いていないし、そこらに沓が転がっているわけでもない。
(どういう事だ?)
 娘たちは木の枝に掛けておいた衣(ころも)をめいめい手に取ると白い肌襦袢の上にまとった。不思議な事に、娘たちが湯から上がった途端に白襦袢も白足袋もすっかり乾いてしまったようである。
 その時、辺り一面に何とも芳(かぐわ)しい香りがし、空から虹のような七色の光が柔らかく降(ふ)り注いで来るではないか! 助左は思わず目を上げた。すると中空に五彩の雲が浮かんでおり、娘たちが一人ずつ軽々とその雲に乗り込んでいるのが見える。しかし、最後の娘だけは白襦袢姿のまま、地団太踏んであせっているが身体は宙に浮かばない。
(そうか、この娘たちは天女(てんにょ)で、さっきの玉虫色の衣(ころも)は羽衣(はごろも)というわけか。これは面白くなったぞ)
 事情を察した助左は、身じろぎもせず、息をひそめて木陰でじっとしていた。これは賢明だった。もし懐(ふところ)の羽衣が見つかったら、助左は七色の光で射殺(いころ)されていたかもしれなかったのだから。
 やがて無慈悲にも、涙を振り絞り、身を捩(よじ)って哀願する娘を残して五彩の雲は空の彼方に飛び去って行った。

 おもむろに木立の陰から身を出した助左は、身も世もなく泣き崩れている娘に、何食わぬ顔でやさしく声を掛けた。
「娘さん、どうなさった? こんな山奥で一人で泣いているとは、ひどい目にでも遭ったのかい?」

1 2 3 4 5 6 7 8 9