小説

『盗人と天女』多田宏(『竹取物語』『羽衣伝説』)

「は、はい」
(そうか、天女でも人間の言葉は解るのか。こりゃあ好都合だ)
「何があったか知りませぬが、このままでいるわけにもいかないでしょう? 夜は虎や狼が出ますからね。俺はすぐ近くに住む猟師です。まあ、家でゆっくり話を聞かせてくれませぬか? 力になりますよ」
「あ、はい」
 人を疑う事を知らないのだろうか、娘は素直について来た。

       二

 家に入るなり助左は娘に十二単を着せ、畳敷きの奥座敷に坐らせ、姫君に対するように少し離れたところに腰を下ろした。見れば見るほど美しい。瓜実顔(うりざねがお)で眉が濃く、奥(おく)二重(ぶたえ)の切れ長の目が輝いている。鼻筋が通り、紅(べに)を刷(は)いたような小さな口元が可愛らしい。何より気品があるが、冷たく取り澄ました感じがしない。
人間で言ったら十七、八の娘だが、まだ自分の容色(きりょう)を鼻に掛けるのを知らない七つくらいの娘のような素直さがある。助左は盗んで来た公卿の家宝の壺のように、この娘を座敷に置いて眺めているだけでも毎日が楽しいだろうと浮き浮きして来た。
「湯でも沸かしましょう。ちょっとそのままお待ちください」
 助左は立ち上がると土瓶を手に家の外に出て、懐の羽衣を家の裏手の床下(ゆかした)に隠し、家の外に置いてある大甕(おおがめ)から土瓶に水を汲んで来て竈(かまど)で湯を沸かした。
白湯(さゆ)を勧めると、娘は一口飲み、ほーっと小さく溜息を吐(つ)いた。少し安心したらしい。
「道に迷われたのですか?」
 助左は小娘と侮って、自分が娘を天界に戻れなくしたくせに親切そうな顔で話しかけた。すると娘は、無言でじっと助左の目を見た。心の底を覗き込むような眼である。助左が目を逸(そ)らそうにも、どうにもならない。
しばらくして娘は口を開いた。咎める口調でもなく、その声は軽やかに鈴が鳴るようである。思わず助左は観音様のお声を直(じか)に聴いたような気がした。
「羽衣を返してくださいませ」
 すべて判っているのだぞという響きがある。考えてみれば、それも道理だ。湯浴(ゆあ)みしているあいだに何者かに羽衣を盗まれ、天界に帰れなくなって泣いている時に、助左は計ったように姿を現したのだから。助左に羽衣を盗まれたと判り、一時は取り乱したものの、落ち着きを取り戻したのだろう。
 すべてを見破られたのを悟った助左には、この娘が何でも心得ている年増(としま)の奥方のような気がした。言葉遣いも普段の猟師に戻っている。
「お、俺が悪かった。あの羽衣があんまりきれいだったからよ、つい」
「でも、あれが無いと私は天界に戻れないのですよ」
「そこまでは知らなかったんだ」

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