小説

『燃ゆ音』海老原熊雄(『かちかち山』)

人も獣も、呆気にとられ、ただただ霧靄に包まれた真白な山間を眺め、立ち尽くすのみ。
時間にして小一時間の小火騒ぎ。
突然の災いも、火の粉を払えばどこ吹く風。
小雨に当てられ、人々は家へ帰る。

山守ひとりに、獣が二匹。膝を突き合わせていた。
「なあ、ここから始めよか」
月子は涙を拭い、しっかと獣を見つめる。
「これは、この山の話やねん。ひとと獣の」
狸と兎も、正面から見つめ返す。
「わたしらは、かち山に頼りすぎやった。小さな町には、勿体ないくらい立派なお山さんや」
獣たちは、月子の謝罪の念を充分に理解していた。
「せやけど、随分よくしてもらっていると思うで 」
「あんたの爺様にも長いこと世話んなったわ」
月子は首を振る。
「それは、”当たり前”や。それに、あんたらの喧嘩かて原因は山守の所為や」
狸は云う。
「千年やりあってるんや、それだけやないよ」
兎も続く。
「これは狸と兎の喧嘩や」
山守は、獣たちにぐいと顔を寄せ、瞳を見つめ告げる。
「きょうで終いにしよう?」
「月子・・・」
「勝手やと思うよ。千年前にけしかけておいてなあ」
今度は、獣たちが首を振る番だった。
「いや、わしらは感謝しとるんやで。あんたが空手で駆け寄って来てくれたんがな」
「そうやそうや、平手は痛かったけどなあ、嬉しかったで」
狸と兎は、頰をさする。
「兎よ、この山守さん悲しませたらあかんなあ」
「狸よ、わしもそう思うよ」
千年の争いと千年の傍観は、女子高生の平手に吹き飛ばされた。
「ここからや。ここから、この山の物語をやり直そう」
そう言うと、萎びたマッチを擦り点ける。
火花が散り、湿った枯葉に熱を伝える。
枯葉から、細枝、火が灯る。

かちかちかち。
薪が燃える。
かちかちかち。
ひとりと二匹が、焚き火を囲む。
かちかちかち。
山から響く燃ゆ音よ。

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