小説

『燃ゆ音』海老原熊雄(『かちかち山』)

「火事だ!」
山が鳴っていた。

落陽は山の陰、カラシナ町を橙色に染め上げ、街全体が燃えているようだった。
人々は仕事を放って、一点をみつめ呟く。
「山が燃えておる」
緩やかな山肌は、樹々が延焼するのに丁度良く、じわりじわりと確実に山を燃やしていく。
はしゃぐ子供に、嗜める母。粟立つ若者に、祈る年寄り。
堰を切ったように、人々は騒ぎ出し、山への畏怖を抱く。
「若いもんは皆、手を貸せ!」
町長が人手をかき集めていたが、穏やかで災害の経験の浅い町人たちは大声、奇声をあげ、右往左往するのが関の山だった。
慌てふためく街を尻目に月子は、駆ける。
「私が行かな!」
かちかちかち。
時計が鳴っている。
「こんな時に!」
月子は駆ける。
狼煙のような煙が、山の頂上から昇りゆく。迷うこと無くその袂へと駆ける。

暁に染まる山に、朱色馴染む社。
獣が二匹、闘争していた。
「やめや!」
月子が叫ぶも、獣たちは聞く耳をもたない。
「あんたらそんなことしとる場合やないんよ!」
木々はざわめき、土は胎動する。
月子は異様な雰囲気に圧倒されながらも、獣たちのことを漸く理解することが出来た。
目を剥き、唾液を散らしながら爪と牙を立てる悪鬼羅刹の正体は、千年もの間、怨みが堆積、増幅、継承されてきた結果だった。
もはや当代たる彼らの預かり知る感情では無く。
「千年も喧嘩して阿呆やないの!あんたらが争うことない!」
脳裏に、言がよぎる。

“獣争わば、鳥を撃て”

月子は銃を置く。

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