小説

『対価』久保沙織(『人魚姫』)

「いつもマスターばっかりいい思いしてるよな」
「ずりー!」

 男たちの横槍など耳に入らず、私はお酒の勢いも借りてマスターと楽しい会話を朝まで続けた。
 閉店後、何とかタクシーに乗って、家に帰ってからはお風呂に入る気力が残っておらず、そのままベッドに直行した。

 そういえば、この薬の効力っていつまで続くんだろう?寝て目が覚めたら、もういつも通りの醜い私に戻るのかな。そもそもこれ自体が良い夢だったりして。
 魔法にかかって恋に落ちるなんて、私シンデレラみたいじゃん!これが夢なんだったら、勢いでマスターにキスしてもらえばよかったな…。

 そして私は睡魔に飲み込まれた。

 ベッドに差し込む陽の光が眩しくて目を覚ます。眠る前にカーテンを閉め忘れたのだ。
 久々に羽目を外したせいで二日酔いが酷い。起き上がって直様、洗面所に駆け込み朝から吐いた。気分も悪く、バシャバシャと雑に顔を洗う。タオルで水気を取り、今日初めて鏡を見た。

「夢じゃない…!」

 そう、夢じゃなかったのだ。体調は悪くても、顔は綺麗なまま。昨日の老婆も実際の出来事だったんだと、改めて実感した。喉が渇き、冷蔵庫を漁ろうとリビングに向かう途中で、机の上の名刺が目に入った。

「一目惚れなんて初めてだわ」
 今度はあのバーに一人で行こう、そう決めた。

 月曜日。会社に出社する際、マスクをして家を出た。社内では、私なんか人目には付きにくいし、普段髪の毛で顔を隠して過ごしていたから、対して気にされることはなかった。
 マスクを外せば、こんなにも別嬪だというのに。自分で悦に入る。

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