小説

『女神の湯』西橋京佑(『金の斧』)

 繰り返し叫び続けたのち、6回目に叫んだときにはゴボゴボという代わりにようやく自分の声が地上と同じように聞こえた。響かずに無機質な音であったが、確かに大声で叫んだ響きが口蓋の中にあった。お湯の中とは言っても、どうやら空気はあるらしい。
「おーい!!」
 声は、真っ暗闇にかき消されたかのように思えた。しかし、その効果があったかなかったか、8回目に叫んだ後には足元から徐々に暗闇が晴れ始めた。「しめた」と思い上に向かって泳いでいこうとするも、却って暗闇の晴れるスピードが早まるばかりで、状況が好転しそうにもなかった。
「ちょ…すいませーん!!」
 小籔太郎は必死に上に向かって叫んだ。あのグロテスクなお湯に飛び込んでから、もう何日も経ったように感じていた。すっかり周りは明るくなっていて、いつの間にかその空間の中で歩けるようになっていた。
 諦めの念に打ちひしがれていたところ、かすかに布の掠れる音が聞こえた。「誰かいる」そう思い、音のする右の方へ顔を向けた。象牙色のような、淡いロゼのような空間がどこまでも広がっているように見えた。
 げっ、という声が左のほうで聞こえた。
「また…もう勘弁してよ…」
 少し泣きそうな声がすぐ耳元で聞こえてきて、小籔太郎は飛び上がった。「もう…」と、突然後ろから声がしたと思い振り返ると、そこには心底面倒臭そうな顔をした天女のような服装の女性が立っていたのだ。
「あなたは…」
 そう言うが早いか、女は「女神」とぶっきらぼうに答えた。
「女神って…じゃあ看板に書いてあることはほんとなんですか!?わあ、すごいな。感激しちゃう」
 小籔太郎が嬉々とした顔で話しかけるも、女神は変わらずぶっきらぼうに「願いは」とだけ答えた。「お金持ちになりたいとかはなし」と、思い出したように添えて。
 うーん、と小籔太郎は悩み始めた。女神の言うところでは、努力を伴うものでないとダメらしい。
「願いの成就が、堕落につながるんじゃ意味ないでしょ」
 と女神はそっぽを向いて、さっさとこの時間が終わることを望むように右足の先だけをパタパタと上下させた。
「こんなうまい話があるもんかなあ」と思いながらも、小籔太郎はしっかりと願い事を考えていた。転んでもタダでは起きない、が小藪太郎の座右の銘だ。
「あ」

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