小説

『脱出するなら絶望から』柘榴木昴(『死に至る病』)

 唐突な言葉に戸惑った。ああそうだ、俺と兄貴が唯一かぶって持っているという哲学書だ。俺は全く意味が分からなかったけど。
「いいか。真の絶望というやつは絶望していることにも気づかないことだ……おまえのように、何をしていいのかわからない、だから何もしないというような、進むこと、考えることを放棄した自己への無関心だ」
 ひどい言われようだ。確かに何もしてないが、俺は自分のことには関心がある。そう、俺は人より繊細で人より理解されにくいのだ。
「いいか。思考しろ。そして行動しろ。何も持たないお前からすれば世界は不安しかないように思えるが、それでも動くのだ。それが生きるということだ」
 それだけ言うと兄は車を降りた。車体がぐわんと縦に揺れる。俺もあわてて降りる。リュックを抱えて訳も分からず兄の後を追いかけた。すぐに大きなトタンで作ったような建物に着いた。オレンジ色の看板に『国際旅客ターミナル』と書かれている。
「国際? ここは、ににににいちゃん?」
「手続きはほとんど済ませてある。なに、ちょいと船に乗るだけだ」
 そういってすたすた中に入っていった。中は明るく、大きな駅の待合所のようだった。椅子ばかりであとは韓国語の両替コーナーと受付、申し訳程度の観光所があるくらいだ。
「座っている時間はないぜ……ついてこい」
 薄いガラス戸を押してターミナルを出るとすでにそこは乗船場だった。屋根付きの歩道を歩いていくとタンカーのようなでかい船が夜の海に鎮座している。
「で、でけえ。すげえ。」
 デッキまで船の側面の階段で上がるらしい。潮風が強く、そして冷たかった。両腕をさすりながら震える足を動かす。デッキではいかつい船員が愛想よくチケットを切ってくれた。兄貴は船内案内図を広げて迷いなく進む。船内はかなり広くホテルのようなロビーにコンビニ、フロントがあった。人も多いが話す言葉が日本語ではないようだ。ホテルのようであり、またちょっとしたアミューズメント施設のような雰囲気だが高級さや品格はあまりない。カジュアルなほうが自分には向いているからいいけど。どこからかおいしそうなにおいがする。ちょっと探検したい気持ちになったが兄がすたすた進むためそういうわけにはいかなかった。俺は兄貴の広い背中を追いかけるばかりだった。階段を登ったり降りたりして客室にたどり着く。
 長い廊下の一室。鍵を開けて中に入る。まだ動いてないとはいえ、ここが海の上とは到底思えない。
「まるでビジネスホテルだなあ。まあ、使ったことないけど」

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