小説

『脱出するなら絶望から』柘榴木昴(『死に至る病』)

 かちゃり、とドアが開く。
「寝てるのか……もう昼過ぎだぜ」
 体格に似合わず知的で物静かな兄だが、声は深みがありドスの利く声だった。
 有無を言わさず部屋に入ってくる。いやいやいや。いくら俺が一円も生活費払ってないからってここは俺の部屋だぜ。いくら兄貴でも勝手にプライバシーな空間に入ってくるなんて信じられねえ。断固抗議してやる。
 布団をめくられた。
「ひいっ。に、にいちゃあん」
「なんだ起きてるじゃあないか……悪いが出かける支度をしてくれ」
 相変わらず整った顔だった。のんきな両親からどうやったらこんな完全無欠な大男が産まれるのだろうか。確実に兄貴の残りカスが集まったのが俺だった。
「え? えぇ、きゅ、急だなあ。兄ちゃん、で、出かけるのは」
「このリュックに持っていきたいものを詰めろ」
 どさりとリュックを放り投げられる。本物の皮の匂いがした。多分これ高い奴だ。
「厚手の上着を忘れないようにな。10分したらまた来る」
 それだけ言うと兄貴はひるがえって部屋から出ていく。まるで会話になってない。これじゃ命令されただけじゃないか。
 無性に腹が立ってきた。兄貴には感謝してる。確かに俺の生活費は兄貴が持っていると言っても過言ではない。だが、だからといってこんな人権侵害が許されるのだろうか。出かける? どこへ行くかも言わないで? とんだ誘拐じゃないか、こんなの。拉致だ。そうだ。聞く必要なんてない。とは言っても無視はできないだろう。ここはひとつ、断固立ち向かおう。部屋に鍵をかけて、さらにこんな時のために用意したチェーンをドアノブと打ち付けた釘に巻き付ける。もし鍵をあけられてもこれならどうしようもないだろう。さらに! 通販で買ったバタフライナイフを取り出した。俺はやるときはやる男だ。そう、俺はもう外には出ない。この部屋が俺の世界であり、この部屋の主は常に俺一人。そして俺は王様、暴君なのだ。
 きっかり十分後に兄貴はやってきて、扉が開かないことに驚愕していた。まさか抵抗されるなんて思ってもみなかったんだろう。ふふん。腰抜かしたかもしれないな。俺は丁寧にナイフの刃を出して扉越しに言い放った。
「に、にににちゃん、ちょっと、その、まだそのまって、そのどこいくのかなって、思ってその」
「ん? 鍵か。時間がないんでな。開けるぜ」
 言うが早いかドアは鍵とチェーンと釘ごと轟音をたてて蹴り破られた。鼻先をドアが吹っ飛んでいく。電柱みたいな太い脚がそのまま入ってくる。
「用意はできたか」
「ひいえあっ」

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