小説

『寒戸のガングロ』室市雅則(『遠野物語』)

 それはそうであろう。辛くとも生きている者はこれからも生きていかねばならないし、いなくなってしまった者を懐古してばかりいられない。忘れるとまでは言わなくとも、記憶の主軸から外れてしまうのは仕方がない。
 また少しだけ目元の白が涙で滲んだ。
 足音を消すようにして階段を降りた。
 ルーズソックスが役に立った。

 玄関で靴を履いていると両親が気づいてやってきた。
 「どこ行くだ?」
 二人とも緊張しているのがガングロには分かった。
 「帰るね」
 「けえるって、家はここでねか」
 父親がガングロの腕を掴んだ。
 また腕のブレスレットがぶつかり合って音が鳴った。
 「おどちゃ!」
 母が父の手を解いた。
 父が尋ねた。
 「どっちゃ行ぐ?」
 「ブーヤ」
 父と母は目を見合わせた。
 「渋谷だよ」
 父がさらに尋ねる。
 「なじょしてもおでぁるか?」
 ガングロは頷いた。
 「どうしても行かないと」
 父親はガングロのまっすぐな瞳を見て、もう何も言えなかった。
 母親もそれを感じ取り、台所に向かうと財布を片手に戻ってきた。
 「せだら、これさ」
 そこから札を取り出して、ガングロの手に握らせた。
 「少ねえけど」
 ガングロは頭を下げた。
 「ありがとう。また」

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