小説

『空の王様』阿久沢牟礼(『裸の王様』)

「同時に二つ三つの場所に現れることも珍しくないらしい」
 国民のあいだで語られるほどに、空の王は神格化されていった。その日和見的な決議の数々に不幸を被った人が少数ながらいるものの、大多数の民衆にとって空の王とはほとんど正義の味方、庶民の味方のようなものとして捉えられていた。自分たちの実現したいことを何でも叶えてくれる、そんな存在が空の王だったのだ。そうしてもはや空の王は厳然たる王として、この盆地の国リークハウゼンにおける地位を固めていった。
 冷たい風が山並みから吹き下ろす晩秋のころ。危機は急に訪れた。春に播いた麦の収量が例年にも増して少なかったのだった。日照不足もあるにはあったが、何より空の王に関わる国民の役割増加によって、農家の働きそのものが低調となったのだ。概算でぎりぎり国民が飢えることなく冬を越せるだけの量の麦は、しかし外交上重要な商品作物でもあった。
 リークハウゼンという国は、過去の独裁の傷跡から武装には消極的な姿勢を取っていた。そこで国を守るべく、南の山並みを越えた先にあるガルヴァイド国との同盟を結ぶことで、その軍事力の後ろ盾を得ていたのだった。見返りがまさに麦であり、毎年かなりの量をタダも同然で輸出しているのが現状だった。目にも見えない単なる抑止効果に対して過大な対価を支払い続けていると、憎々しく思う国民も少なからず存在するところに、なかば必然的に持ち上がったのが『ガルヴァイド国との同盟破棄』という破滅的な立案だった。
「こんな法案が通ってしまえば、わが国リークハウゼンはどうなってしまうんだ」
 もはや仕事も手につかない様子で、ゼッツァーは早くから酒場に入り浸っていた。
「かといっていつも通り、大量の麦をガルヴァイドへ輸出しては、国民が飢えてしまいます」
「だからといって、同盟関係を破棄するとなると、後ろ盾が無くなってしまう。そうなるとどうだ、隣国から簡単に攻め込まれてしまうぞ。ここはもう、ガルヴァイドと交渉するしかないのではないか」
「あの空の王を六人のパントマイム集団とともに、お使いにでも出しますか?」
「式典ならともかく、交渉は無理だろう」
「かといって、代理の者を立てるにしては問題が大きすぎます。王自らが出向き、頭を下げない限り、ガルヴァイド側も納得しないでしょう。やせた土地に住まう彼らにとっても、わが国の食料は生命線なのですから、どう転ぶかもわからない。それにもう、法案は国民に知れ渡ってしまっているのです。仮にも密使を送って問題を隠密裏に解決できたところで、国民が納得しません。『謁見の間』での決議はもはや避けられそうもない」

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