小説

『空の王様』阿久沢牟礼(『裸の王様』)

「あれは誰だ?」
「あんな候補者、いたか?」
「おれは書いてないぞ、あんな名前」
「何かの間違いじゃないのか」
 民衆のなかで何となく心当たりのある人々もいるにはいたが、彼らにしてみてもいぶかしいこの結果には口をつぐんでいた。
 困惑とざわめきに包まれた広場にファンファーレが鳴り響くと、通りに面した民衆が道を開け、そこから着飾った二人の衛兵を伴って選挙管理委員長エイモルフがおごそかに現われた。民衆の視線を一身に受け、選管長は通例通り高らかに、今後一年間この国の王となる人物の名前を読み上げた。
「第百二十三回、国王選出選挙の結果をここに発表いたします。第百二十三代リークハウゼン国王は、       に決定いたしました。つきましては、戴冠式を三日後、王宮にて執り行います」
 本来ならば誰かしらの名前を呼ぶべき個所を沈黙で押し通し、選管長はまるで何事もなかったかのように宣言を終えた。途端、先よりも増したざわめきが広場を埋め、やがてすると人々は疑問の声を上げ始めた。このさわぎのなか、選管長は朗々と通る声で一言述べた。
「これは厳粛なる選挙の結果。われわれ国民の決断である。心して受け止められよ」
 そして二人の衛兵を引き連れて、選管長は広場から颯爽と去っていった。
 三日後の戴冠式には過去にも例をみないほどの民衆がつめかけ、王宮の壮麗な舞踏場から、広い中庭までをも埋め尽くした。いつもであれば舞踏場の最奥部に玉座を設けるところだが、このときばかりは民衆の熱に押され、中庭に面した王宮二階のテラスで執り行われることとなった。
 日暮れ前の輝かしい黄金の陽が中庭をつらぬき、テラス全体を輝かす頃合いになって、式は始められた。高らかなファンファーレが鳴り響き、前国王を務めたクーベロイツァーが手に持った王冠を空白の玉座へ掲げたとき、人々は不思議と押し黙り、なにやら神妙な面持ちで、その様子をじっと眺めていた。きらびやかな西日に王冠が不思議な輝きを放っていた。
 誰からかは定かでないものの、誰かが拍手を始めると、それまでどうしてよいのやら動きあぐねていた民衆も、とりあえずとばかりに拍手を始めたのだった。中庭に集まった民衆の拍手が波紋のように広がり、中庭に集まりきれなかった大勢の国民の拍手を呼び、そうして街中が拍手の嵐に巻き込まれていった。

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