小説

『孤児と聖母』明根新一(『母子像』)

 それ以来、男は金曜日を含めて週に二、三回は来るようになった。男が来たときは決まって母は仕事を休んだ。僕は母のためだと思って、不快な気分を必死に抑えて、彼に尽くした。男は僕のことを奴隷のように扱った。「おい、肩揉んでくれよ」「酒買って来い、酒!」アルコールが入って気分がよくなった時には、「おい、一緒に一服しようぜ」と煙草を吸わせてくることもあった。僕は、煙草を吸う人間というものを無条件に軽蔑するようになった。
 何よりも耐え難かったのは、男が僕の見ている前で、母の体に触れることだった。母の肩を抱いたり、彼女の膝に頭を置いて寝転がったりするのはまだいい方で、時には頬にキスをしたり、胸元に手を突っ込んだりした。僕が吸った胸、僕を育てた胸。それがいま、穢れた男の手によって穢されている。ただ一つ救いだったのは、母が男のそうした振る舞いを嫌がったことだった。母に拒まれ続けると、男はすねたように醜い笑みを浮かべて僕に視線を送った。あまりに醜悪で、一秒たりとも見ていられないような笑顔だった。

 ある時、母が料理の途中で買い物に出かけて、僕は男と二人きりで取り残された。男に命じられるがまま、僕はビールの缶を冷蔵庫から取り出し男の前に差し出した。男は礼を言うでもなく奪い取るように乱暴に缶をひったくり、ビールをのどに流し込んでゲップをした。
「お前の母さん、いい体してるな。ああ、最高の女だよ。あんないい女ならいくら金つぎ込んだってかまわない。って言ってもな、大した額じゃないんだ。最初に値段観た時にゃ、あまりにお買い得なもんでびっくりしたなぁ」
 男から目をそらし、台所に視線をやるとまな板の上に置いてある包丁が目に入った。僕は立ち上がってふらふらと無意識のうちに二、三歩台所の方へ歩み寄った。
「おい! もう一缶くれ!」
 男の言葉でふと我に返った僕は、ビール缶を男のところに持って行き、頭を下げた。
「これからも、母のことをよろしくお願いします」
 醜い男は唖然とした様子で何も言わず、まずそうにビールを一口飲んだ。胸に流れ込んできた敗北感が、大人になった証のように思えて僕はうれしかった。また一つ母の幸せに貢献できた気がした。

 それからしばらく、僕たちの生活に少し余裕ができてきた。母は、僕の泥だらけの運動靴やひざが破かれた制服のズボンを買い替えてくれた。それらはまたすぐに汚されたり、破かれたりしてしまったけれど、母が僕の身に着けるものに気を配ってくれたと分かっただけでも僕はうれしかった。食事も少し豪華になったようだった。母は値段のシールが貼ってある肉のパックをわざわざ僕に見せて、こんなにいいものが食べられるのは僕が彼女の仕事に協力しているおかげだと言った。あの男は、実は僕のことを気に入ってるのだと母は何度も強調した。「この頃ますますお母さんのこと指名してくれるようになって、たくさんお金落としていってくれるのよ。あなたの将来のことも気にかけてくださっているわ。高校に行くお金はあるのかとかね。でも、あの方のおかげで、公立だったら行かせてあげられそうだわ。あなたも感謝しないとだめよ」

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