小説

『種』もりそん=もーりー(『変身』)

―――子供のころ、誰でも一度は思ったことがあるはずだ。
 どこでも行ける超科学の扉をはじめ、ユリ・ゲラーを遥かに凌ぐ超能力、鬼のような怪力。果ては、魔力や気功などといった人知の及ばぬ不思議な力。技。
 使ってみたい。
 もしかしたら出来るんじゃないか。
 きっと、誰もが一度はそう思い、誰もが一度は試してみる。
 けれど、必ず誰もが思い知る。そんなものは在り得ない。そんなこと、出来はしない。
 誰に教えられるわけでもなく、人は悟り、そうして大人になっていく。アレらに対する憧れや願望への決別は、そのとき、いわゆる通過儀礼であったと気づくのだ。

 しかし田中という男。彼だけは違っていた。
 信じ続けたのである。心から。愚直なまでに。

 ゆえに、これは必然なのかもしれない。または運命のイタズラか、神の憐みか、はたまた悪魔の誘惑か。
 純粋すぎる愚か者。齢26になる“少年”のもとに、一つの奇跡が現れたのは。

 
「訓練をすれば、変身だって出来るはずだ!」といった言動を除けば、田中は普通の人間だった。むしろ、まともだったと言えるだろう。
 小学校から大学まで、特に問題なく通い切り、優秀とまではいかないが、平均より上の成績をとって卒業を迎え、ほどなくして就職を果たしている。勤務態度に面接時との差異は見られず、些細なミスをすることはあれど、比較的まじめに勤めていると評価されていた。
 たとえ出勤のたびに「……これは世を忍ぶ仮の姿だ。ふふふ」と密かに呟いていても、その事実は不変である。
 なお、彼は「訓練」と称した筋トレやランニングを、雨の日も風の日も、毎日欠かさず行い続け、体脂肪率数パーセントの理想の体格を手に入れていた。
 たとえ「いつの日か“気”を操ってみたいから」という、苦笑いを禁じ得ない動機があったとしても、筋肉がついて困ることがあるわけもなし。
 懸命で素直で逞しくて。けれど容貌は十人並み。頭の中では常日頃、少年時代に夢見た力を望んでいる。田中はそういう男だった。田中は気功が好きだ。腰のあたりで限界まで溜めたそれを一気に解き放つ、その瞬間が大好きだ。魔法も好きだ。超能力も好きだ。ありとあらゆる“パワー”が、この上なく好きだ。

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