小説

『呼吸をするということ』武藤良太(『花さか爺さん』)

 咲さんはその場にへたりと座り込み、今まで溜めこんだ涙と無念の思いを、エプロンの裾に染みこませていった。葬儀の日は、桜が悲しんではいけないからと、一滴も涙を流さず、気丈に振舞っていたのを、私は今さらになって鮮明に思い出していたのだった。
 咲さんは、この日を境に、蝉の抜け殻のように生気を失い、言葉を発し辛くなっていった。
 見かねた私は、50歳手前で仕事を早期退職し、都会のマンションから郊外の小さな平屋へ移り住むことにした。そこそこの蓄えもあったし、自然に囲まれた方が人目も気にせず、気持ちも楽になるだろうと考えたのだ。
 この平屋は、町から少し離れていたが、天気がいい日には、敷地いっぱいに洗濯物を干せる庭つきで、縁側からは近くの山々が一望できた。
 この家へ移ってきてから、咲さんの表情に微かに光がさすようになった。東京とは思えない深い緑や、電車の騒音がしないこの場所が、どうやら彼女の心を癒すのに良い環境だったのであろう。それが証拠に、数年経つと、庭から鼻歌が聞こえてきたのだ。
「気分が乗ってきたね、咲さん。何の歌だい」
 聞こえてきた鼻歌を聞きつけた私は、縁側から庭にいる咲さんに問いかけると、咲さんは言葉で表す代わりに、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。これで良いのだ。きっとすぐに病気もよくなるだろうと、私はほっと肩を撫でおろしていた。
 数日経ったある日、私は少しでも咲さんの気持ちが晴れるようにと、クマのぬいぐるみをプレゼントした。普段プレゼントなんてしなかった私からとあってか、少女の様に喜んでくれた。彼女はそのクマに“桜”と名付け、ご飯のときも、テレビを眺めるときも、本物の娘の様に、何をするにも一緒にいるようになった。死んだ娘の名前を名付けることが精神医療的に良い方法かはわからないが、この頃の私は、咲さんの笑顔が少しでも多く戻ればそれでよかった。だから、あらゆる負担が少しでも軽くなるようにと、掃除、洗濯、買い物まで何でも私がやるようになった。なるべくお互いが笑顔でいられるように、毎日微笑みかけることにも努めた。
 ただ、その笑顔は、自分の最高潮の笑顔を型取って、樹脂で固めたお面の様で、それをつける度に、多少なりとも違和感を覚えた。だからだろうか、この日以降の咲さんとの思い出は、戦後の白黒写真のように、ぼやけて肝心なところが薄いものになっていたのだった。

 
「一樹さん、明日は火葬場に9時だから今夜は早く休みなね」

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