小説

『ゴク・り』冬月木古(『桃太郎』『聖書』)

 もうすぐ孫が生まれるとあって、本を読む練習をしている自分がおかしかったが、小さいころ父に読んでもらった思い出と、息子に読んだ思い出がよみがえる。夢を持って生きてきて、夢を捨てて生きてきた。捨てるたびに自分の人生は幸せだったのか自問し、小さな幸せをつぎはぎして自分を納得させていた。でもこんな何でもない普通のことが幸せなんだ、と炬燵でミカンを食べながら、「神様、ありがとう」とつぶやくのだった。



 教会のボランティアで訪れた岩手県大槌町、ここは「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われている蓬莱島がある町。それよりも有名にしたのが、東日本大震災の津波によって民宿の屋根に乗ってしまった観光船の姿だ。そこに人間や動物が乗っていたなら、現代のノアの箱舟と評されて、世界中のクリスチャンが訪れたことであろう。津波で町長はじめ町の課長以上の役職の方が全員行方不明となり、町の機能が壊滅してしまった町だ。神は空に虹をかけて、二度と洪水を起こさないと誓ってくれたはずなのに。

 その当時の姿が残された町役場で聞いた語り部さんの言葉が、突き刺さっている。

「この町のみんなは、誰もが誰かを失っています。自分の子どもが、行ってきます、も言わず出て行って、そのまま帰らない、いつまでのその日が終わらない大人たちがたくさんいます。残された親はいたたまれない。思春期で親と口をきかない、それも成長の過程で仕方ないことだけれども、せめて家を出るときには、行ってきます、帰ったときには、ただいま、と、それだけは言ってください。そしてそんなことを言える、そんな当たり前のことが幸せなんだ、と感じてください」と。

「どんぶら……」幸せは予告もなく、跡形もなく流されてしまう。

10の1

 公園では、ユキヤナギの白い花がまるで滝のように咲き乱れ、サクラのつぼみも大きく膨らんでいた。

「わたしはイチゴがちゅきぃ」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14