「ええ、必ず」私は掌を口元に添えて、小声で言った。
「それにしても、上司を痴漢あつかいするなんて。驚いたな」
「彼にひとりで列車を降りろと言われて、とっさにあんなことをしました」
慶子はおおらかに笑った。共犯者に見せるような親密さが伝わってきた。
「さてと。まもなく、発車の時間だ」
私は列車に乗り込んだ。車掌室のドアについた窓から前方を確かめた時、深々と頭を下げる慶子の姿が目に入った。
こうして、県知事の長兄を乗せた列車は駅を離れて行った。その後、慶子と経義のふたりは東北まで、逃げ延びたと聞いている。経義たちがいなくなり、ドーム型のテントを使った上映会は中止になったようだ。なんという慶子の知恵! たとえ、駅と県知事との仲が悪くなったとしても、別によいではないか。私は慶子の愛に力を貸せたことを、誇らしく思っている。