小説

『コンの銀杏』鴨カモメ(『ごんぎつね』)

「申しわけございませんが、主人も忙しい身でございます。私も家を離れるわけにはいきません」
 斎藤は物怖じしないコンの姿を面白そうに見つめた。
「そなた、よっぽど夫が大事とみえるが、そなたの夫にとっても悪い話ではない。褒美はもちろん用意してあるぞ」
 そう言うと斎藤は懐から布にくるんだ小判を見せた。それはまぶしいくらいに光っている。
「夫の幸せを願うならどうするべきかお前も分かっているのだろう?」
 斎藤が意地悪く笑ったのでコンは気分が悪かったが、揺れる心の内を斎藤は見逃さなかった。
「まぁよく考えるといい。なに、金さえあれば世話をする女だってすぐに現れる。お前のかわりなんぞいくらでもいるさ」
 斎藤の言葉は深くコンの心に突き刺さった。

 しばらくして、兵十は家に戻って来た。見ると桶の中には売れ残った野菜がたくさん入っている。いつもより丸くなった背中で、コンには兵十が肩を落としていることがわかった。不愛想な兵十はそもそも客商売など向いていない。それでも一生懸命に働く兵十のことが、コンは愛おしかった。
「私は兵十さんの作る野菜が好きだよ」
 コンが言うと兵十は少しだけ頬を赤く染めた。
「ありがとう、紺。野菜を作るよりも、作ったものを金にする方が難しいな。少しでも稼いで冬に備えたかったんだが、このままじゃ今年の冬も厳しくなりそうだ」
 珍しく弱音を吐く兵十をコンは複雑な気持ちで見つめた。あの侍の話を受け入れれば兵十の暮らしは楽になる。しかしそれは兵十との別れを意味していた。

「見損なったぞ! 兵十!」
 あくる日、畑仕事をしていた兵十の元に加助が怒鳴り込んで来た。何のことか見当もつかない兵十は黙って次の言葉を待っていた。
「とぼけた顔しやがって! どうしてお紺を止めなかったんだ! お前も金にめがくらんだのか?」
 コンの名が出ると兵十の顔色は変わった。
「加助、紺がどうしたんだ?」
 加助は大きく目を見開いた。

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