小説

『コンの銀杏』鴨カモメ(『ごんぎつね』)

「そういえば駕籠が落ちていくときに小さくて黄色い獣が崖にいたんだ。あれは多分狐だ。もしかしたら狐が悪さをして、この細い道にイガを落としたのかもしれない」
 もう一人の籠かきが言うと、兵十の脳裏にあの小さないたずら狐の姿が浮かぶのだった。

 兵十が家へ帰ってきた時にはもう日は傾いていた。家に帰ればいつものようにコンが微笑みながら「おかえりなさい」と言ってくれるような気がした。だがそこにコンはいない。その代わり兵十を出迎えたのは、加助が律儀に拾って家の中に入れておいた小判だった。
 開いたままの戸からは無数の黄色い銀杏の葉が風に乗って、土間にいる兵十の足へとまとわりつく。兵十が振り向くと銀杏の木の下に何かが動いたのが見えた。兵十が目をこらすと形のよい二つの耳が並んでいる。それは狐のコンだった。兵十はぐっと拳を握りしめた。
「信じたくはないが、それ以外に考えようがない」
 兵十は土間に立てかけていた火縄銃を手に取った。銃はしばらく使っていないのにピカピカに磨き上げられている。これもコンが丁寧に拭いたのだろうと思うと銃を持つ手に力が入った。
 兵十は戸の陰から、標的に銃口を向けた。しかし兵十が縄に火を付けたその瞬間、強い風が吹いて銀杏の葉の嵐が兵十を襲い、視界を黄色一色に染めた。すると兵十はその鮮やかな黄色に懐かしさと哀しさを思い出していた。

 兵十が思い出したのは、父親が撃ち殺した美しい雌狐だった。雌狐は紅葉した銀杏の葉のように見事な黄色をしていた。
 子どもだった兵十は、畑を荒らすという理由で父親に撃ち殺された狐の亡骸を、食い入るように見つめた。艶やかな毛並みにしなやかな身体。死んだ狐は美しく、金色のとても優しい瞳をしていた。
「おっ母、狐は悪い獣なの?」
 兵十が母に聞くと母は悲しそうに微笑んで答えた。
「そんなことはないよ。この狐は子狐のために食べ物を探して村に下りてきたんだ。子を思う心は人も狐も変わらないんだよ」
 母親の言葉に兵十は少しほっとしながら、残された子狐のことを思うと胸が痛んだ。そして、母親と二人でその亡骸を庭の銀杏の木の下へ埋めたのだった。

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