小説

『無口な女』桜倉麻子(『もの食わぬ女房』)

 学生時代の彼女とは遠距離恋愛が面倒になって別れた。すぐに次の彼女ができたが、やはりこれも重くなって縁を切った。自分から女に声を掛けにいくほどの情熱はない。だが、それなりの大学から多少は名の知れた企業に入り、エリートコースと囁かれる部署に配属となると、将来の見込みは悪くないという噂は自然と広がるようだ。
 それを目当てに女たちが寄ってくる。遊ぶのは悪くない。だが女は金がかかる。最初はさりげなく遠慮がちに、だがしまいには当然のような顔で他人の金を吸い取るのだ。こんな奴らに関わって一体何の得になる。自分以外の人間に遣う金はない。私は女たちの甲高い声に飽きていた。

 地方都市の支店長として辞令が出たのはその頃だった。この会社では、有望株の社員はいったん地方で修業を積ませる。
 晶子とは赴任先の部下として出会った。だが当初の晶子の様子はほとんど覚えていない。さほど人数も多くない部署なのだが、それでも記憶に残らないほど晶子の存在感は薄かった。まだ若いはずなのに口数も少なく、誰かと談笑するようなこともない。どこか疲れて沈んだ感じの彼女は誰からも忘れられがちで、私も着任時に通りいっぺんの挨拶をした後はほとんど意識することもなかった。

 ふとしたこと。雨の夜。部下のひとりの異動が決まり、残った者で急きょ送別会となった。
「支店長、先に行ってますね」
「今日ぐらいは仕事しなくてもバチはあたりませんよ」
 はしゃいだ部下たちは軽口を叩きながら早くも飲みに出る準備をしている。だがいつも通り、黙々と作業を続ける晶子を気に掛ける者は誰もいない。
 結局、月末の会計処理の残る彼女を置いたまま彼らは行ってしまった。騒々しい一団が去り、蛍光灯ばかりが白々しい事務所は妙に広く感じる。沈黙が空気を圧するなか、晶子の叩く電卓の音だけがかすかに続いている。
「ほどほどにしておけよ」
 沈黙に耐えきれなくなった私は、かたちばかり晶子をねぎらいそそくさと席を立とうとした。だが、部屋を出る直前、白い横顔に目が留まった。同情や共感などではない。みじめな女に対する好奇心からだ。

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