餓死した人間といっても、ハエにとってはウジを育て、種を維持する、格好のご馳走であることに、変わりはない。
自然界における、不思議のない営みだ。
そこには、わずかの乳でも、子供の口に含ませたかったろう、無念の痕跡すら、残せなかった、子を抱えた母親の、遺体もあった。
たぶんこの母親は、知ることもなかったろうが、贅沢を言わなければ、世界にはすべての人類をまかなうだけの、食糧があるということを。
男は、母子の遺体から、視線をそらすことができなかった。
埃りだらけの、風の流れにゆれる、粗末な布切れのような衣服の残骸が、一層その哀れさを誘う。
肌触りの良い産着どころか、母親のふくよかな乳房や、肌を感ずることもなく、この幼い子は死んでいったのだろう。
いや、この世に生れ落ちたことすら、感ずることは、なかったのかもしれない。
男は、急いで車に戻ろうとしたが、足がかってに前に進み、どんどん、母子の遺体に引き寄せられていく。
すぐ足元まで近づいたところで、幼い子供の目玉が、ドロリと溶け出すように眼孔から垂れ下がった。
「ギャァー! やめてくれーっ!」
男のうなり声がベットルームに響いた。
垂れ下がった目玉で、幼い子がソロリソロリと、上体を起こし、小さな手を男に差し出した。
その手から、豆がコロコロと。
一粒。
つる、となって、男の足に巻き付いた。
「ウワーッ! やめろーっ!」
叫び声とともに、男は飛び起きた。
気持ちを整えるかのように、しばらくベットの上に身体を横たえていたが、ゆっくりと起き上がり、シャワーを浴びるため、浴室へと足を向けた。
長期出張から、帰国して、こんな日々が続いていた』
「こんな出足でどうだろう」と男が言った。
短編映画の出だしのことだ。
「これ。暗すぎない?」、別の男が言った。