小説

『タランテラ』結城紫雄(『蜘蛛の糸』芥川龍之介)

「へえ、ケージごとクーラーボックスに入れてるんすね」坂田くんが妙なところに感心する。
「犬とか鳥と違ってね、虫は冷たくしとけばいいから輸送が楽だよ」
 店長がキンキンに冷えた伝票をつまみだし、興味なさそうにめくる。坂田くんがケージをクーラーボックスから出してくれたので、私は周囲の梱包材を剥いだ。うっすらと曇ったガラスの向こうに、人間の拳のような塊が仰向けにひっくり返っている。
「おおっ」
 坂田くんが低い声を出した。「こいつはまた一段と気持ち悪いっすね」
 中身は大きなクモだった。よく知るクモと違うのは、人間の指ほどに太い八本足と、全身を覆う獣のような体毛。
「まあまあなデカさだな。割りと力が強いみたいだから脱走には十分注意して。餌は適当にコオロギかミルをやっといて」
 店長が伝票を確認しながら呟くように言った。
「タランチュラはなかなか売れないから送るなって言ったんだけどな。まあ、長生きだし看板役にはいいんだけど」
「タランチュラ? これ、あのタランチュラなんですか」
 私は驚いて店長を見た。
「そうだよ。初めて見た?」
 私は以前、ヨーロッパ旅行で知った『タランテラ』の一節を思い出す。数年前に大学の卒業旅行で訪れた、イタリアの田舎町で聞いた古い民謡だ。猛毒を持ち、人を死に至らしめる悪魔のクモ。助かる方法はただ一つ、脳に毒が回らないように踊り続けること――その耽美な言い伝えから想像していた毒蜘蛛タランチュラは、つややかな赤と黒のまだら模様に彩られ、糸のような足で音もなく忍び寄る死神の使い。私の勝手なイメージとは裏腹に、目の前にいるのは薄汚れた灰色の毛むくじゃらだった。想像上のタランチュラがマンハッタンの高級コール・ガールだとするならば、無様に寝ているこいつは森の奥深くで息を潜める寡黙な羊飼いだ。ケージの隅の「南米産」と書かれたラベルが目に入った。
 軽く失望した私は、冷たさの残るケージを店内に陳列して帰った。翌日から息を吹き返したタランチュラは、あまり動かないため店長の期待に反して客寄せとしては役に立たず、たまに脱皮しながら静かに過ごしていた。

 私が初めて文学賞というものを受賞したのは24歳のときだった。「文学賞」とは聞こえがいいが、実際は地方の新聞社が主催する小さな公募である。私の作品と顔写真が地方紙の電子版に半年間掲載され、小さな盾と5万円の賞金をもらって、それでおしまいだった。賞といってもその種類や規模は千差万別で、書籍化や映画化、雑誌へのインタビュー掲載にテレビ番組への出演など、ほんの一握りの著名な賞の受賞者だけの特権なのだ、と親戚や友人に説明するのは骨が折れたし、ようやく皆が理解しかけたころに私が会社を辞めたので彼らはさらに混乱した。よくわからないが、どうやらあいつは小説で食っていく気らしい、と周りは結論づけ、一応の事態は収拾している。

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