浮ついた教室の空気の中でも、授業は滞りなく進み、いくらか手紙が机と机の間をちらちらと行き来するのが見えたが、やはりそこにも僕の話題は書かれていないようだった。僕は舞台に上ることもできやしない。
机の中をまさぐると何やら見慣れない箱が――ということはもちろんなく、その箱に気がついた僕と視線が合い、ぷいと顔を逸らし知らん振りを決め込んだ少女との甘酸っぱい駆け引きを始めるという桃(もも)花(はな)色の妄想を加速させようにも、目の前で義理チョコすらも配られ損ねた僕の思考はもはや絶望の一途を辿るばかりだった。「まだ貰っていません」などと手を上げ要求するおこがましさは僕にはない。紳士だから、と誰にともなく嘯(うそぶ)く。
帰りにコンビニに寄り、チョコレートを確保してせめて親だけは安心させようかとも思ったが、昨晩のやり取り以上に自分に傷を負いそうな気がして、その案は頭のうちで却下した。きっと一生後悔する、やめておけ、と誰かの叱る声が頭上から聞こえた気がした。
夕暮れ。日が沈むのも早く、放課後になった教室から眺める外の景色は薄暗い。日の紅は地平線に隠れ、上空はチューブからそのまま捻りだしたような濃(こい)藍(あい)色(いろ)に塗りたくられる。パレットの上で真紅と紺碧が溶け合い、黄昏時の短い出会いを惜しむかのように、紫(し)紺(こん)の温もりが恥ずかしげに色を奏でる。星たちはかすかに金色に瞬きを放ち、夜を迎え入れる準備を始めていた。何の変哲もない、いつもと変わらない空をじっと見つめる。
日常のまま、特筆するべき言葉もない毎日と同じように今日が過ぎる。そうだ、誰かがいつの間にか決めただけで、別段今日という時空が何か特別なものに変わったわけではないのだ。僕は自分に言い聞かせる。なんでもない日バンザイ。
視聴覚室のある別棟を未練がましくブラつき、しばらくもんもんと明かりもつかないセピア色の廊下を散歩する。曲がり角で呼吸を整えながら待ち構える女子も、いない。「もう帰ろう」ポツリと自分に言い聞かせるように呟き、再び下駄箱の前へと戻る。