小説

『境界枠』和織(リルケ『窓』)

ツギクルバナー

 テーブルを片づけながら、外を見るフリをして、五角形の窓の中にいる、
小さな蘭子さんを盗み見た。空は曇っている。ここにいるときは、天気は悪い方がいい。外が暗い方が、店内にいる彼女が、そこに濃く映るから。これは、誰にも言ったことのない事実だ。僕の中にしかない事実。

『この窓には、僕の恋心がアウトプットされている』

 僕にとっての彼女との最初の出会いも、この窓の中だった。そのときは、店内ではなく店の外から、対角線上に見ていた。地下鉄の駅から僕の通う大学への道、その大通りに面したT字路の角に、この「ネル」というカフェはある。入口は角を曲がったところにあって、店のシンボルみたいな五角形の大きな窓が、大通りに面した壁にある。もしもそれがありきたりな形をした、もっと小さな窓だったなら、僕は今ここにいないかもしれない。登校初日、通りを歩きながら、今度寄ってみようかなと思って、チラリとその五角形の窓を見た。そのとき、窓の中、中心よりも少し左寄りに、蘭子さんを見つけた。接客中の横顔、そのときそこにいた客だけに注がれた笑顔に、僕は少しの間見とれて、その場に突っ立ってしまった。僕と窓の間を、ものすごく迷惑そうな顔が通っていって、やっと我に返ったのを覚えている。時間にしたら三秒くらいのことだったと思うけれど、思い返すといつもスローモーションだ。
 その後、ちょうどアルバイト募集の時期じゃないかと思って探ってみると、案の定「ネル」でも募集していたので、すぐに面接を受けた。別にコーヒーに興味があった訳でもないし、カフェでバイトがしたかった訳でもないけれど、不純な動機で始めた割には、もうすっかり「ネル」が自分の生活の一部になっている。大学からは近いし、黒いエプロン姿は友達に「かっこいい」なんて言われるし、コーヒーも大好きになった。でも働き始めて一年近く経つ今でも、こんな風に窓越しに想っている始末のなで、当初の目的は、一向に果たせそうにない。
 土曜日の昼にはめずらしく、とても暇だった。客は店内に五人しかいない。午後から大雨の予報が出ていたせいだろう。こういう日が、近くにある美術館の展示の、人気のバロメータになる。残念ながら現在行われているものは、人気がないようだ。

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