小説

『境界枠』和織(リルケ『窓』)

「休憩行っていいよ」
 カウンター内へ戻ると、蘭子さんが言った。それから、少し申し訳なさそうな表情をした。
「よかったら、長めにとってくれるとありがたい」
「了解です。じゃあ、おいしいコーヒー淹れてください」
 僕がそう言うと、蘭子さんは「まかせとけ」と言って口角を上げた。
「豆は何がいい?」
「蘭子さんのお勧めで」
「了解。じゃあブラインドね」
 蘭子さんは早速コーヒー豆選びに取りかかった。ブラインドなんて自分に仕掛けたところでわかる訳ないと思ったけれど、うれしそうにしているので、とりあえずやってみることにした。彼女のポニーテールを目にして、また髪が伸びたな、と思う。出会ったころはボブだったけれど、今彼女の髪は後ろで一本に縛られている。髪を下ろしたところが見てみたい。めんどくさいと言って、来るときも帰るときも、いつも結んだままなのだ。もっとおしゃれをすればいいのにと思うけれど、おしゃれをしない彼女に、ホッとしていたりもする。
 休憩を長くとる代わりに、オーナー兼店長の津田さんがサンドウィッチを奢ってくれた。僕はそれを持って五角形の窓の傍に座り、コーヒーが運ばれてくるのを待った。客は三人に減っていた。空はさらに暗くなって、雨が降り始めた。僕は窓を見る。ハンドドリップでコーヒーを淹れる蘭子さんをもっと見やすいように、少し頭を動かした。外から見たら、僕は店内から外を眺めているように見えるのだろう。でも実際は、この窓に映る蘭子さんを見ている。窓に映っていないと、じっくり見つめることができない。だから彼女はいつも、外の世界、歩いて行く人々や、木や、車や、雨と重なっている。そして僕はときどきそこに、自分を重ねてみる。触れられる距離にいるのに、物事を全然前へ進められないのは、こうしてここへ、描いてしまうからだろうか。
 蘭子さんはコーヒーを淹れ終えて、こちらへ向かってきた。すると窓越しに目が合ってしまった。僕はしまったと思ったけれど、蘭子さんが窓に映った僕を見つめたままでいるので、目が離せなくなってしまった。
「泣いてる」

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