小説

『焦げ茶のバクダン』守田一朗(『檸檬』)

 断頭台へ上る囚人の面持ちで階段を一歩一歩踏みしめる。途中で何人かの生徒に抜かれる。ゆったりした足取りの僕を振り返り、どうしたのかなという顔を向けてくる人もいた。どうもしない。この日を何事もないように過ごす方がどうかしている。
 バレンタインデーにチョコを渡すという風習は元々とある製菓会社の陰謀で始まったと聞く。真偽は定かではない。が、もしソレが本当だとしたら、汚い。大人たちは汚い。生まれたときからチョコレート商戦なるものに巻き込まれる身にもなって欲しい。正確には、巻き込まれない身にもなって欲しい。
 大人たちの策略によって苦しめられるのはいつだって純粋な子どもたちだ。どれだけの健全な青少年がこんな記念日ができたせいで涙を飲んだことだろう。この日をきっかけにキャッキャッウフフとしている奴らのことなんて知らない。そういう奴らは別にこの日がなくてもそういう幸せな関係をいつの間にか築いているに違いないのだ。お前の親もバレンタインにキャッキャッウフフとしていたのだぞ、という的を射たご意見は受け付けない。それを言われたところで僕は幸せになれない。
 愛を両手に抱え、愛が溢れ余っている者にはさらに愛をあげて、本当に愛が必要な者にまざまざと愛のない現実をたたきつける。与えられない者にこそ、与えるべきではないのか。僕はそう声高に叫ぶ。胸のうちで。お願いします、女神様。

 ――教室の重い扉を開けると、そこは桃色に色めき立つ新世界だった。反射的に僕はカカオ100%チョコレートを食べた時のような苦い顔をした。
 扉を開けたすぐそこに女生徒の小さな背中がある。後ろ手に、鮮やかな赤のリボンでラッピングされた、手作りらしきパウンドケーキを持っている。綺麗な焼き色をしたソレは、きっと前々から密かに準備してきたものなのだろう。その女生徒を取り囲むようにクラスメイトたちが色めき立っている。女生徒の発する言葉次第で、今にも胴上げをしようという勢いだ。

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