小説

『焦げ茶のバクダン』守田一朗(『檸檬』)

 自分の下駄箱を初めてマジマジと眺めると、何だかそれがずっと昔に秘密を隠した宝箱のように思えてきた。今日でこの下駄箱を狂おしいくらい愛せそうな予感がする。僕は意気込んで錆びた鉄製の取手をつかむ。さあ、中身は如何に、と。
 蓋を開けると、そこには靴のかかとしか見えない。そんなもんさ。僕は気落ちする様子をなるべく見せずに内履きを取り出す。ん?その先に何か紙のようなものが引っかかるのを感じる。羽毛のようにふわりと、中から白い封筒が一封飛び出してきた。ソイツは奥に恥ずかしがるように隠れていたらしい。地面に落ちたソイツを拾い上げてみる。軽い。飾り気のない白い封筒は別段ハートシールなど貼られているわけでもない。しかし、真新しい封筒にどうしても胸が高鳴る。それはきっと大切な指輪を入れるケースに似ている。僕は手紙を抱えるように大事に持って一階の男子トイレに駆け込む。洋式トイレの磨かれたクリーム色の便座に座って、ふーと息を吐く。丁寧に封を開ける。中にはそっけなく一枚の便箋が入っていた。若葉と花柄で控えめに縁取りされた紙に、丁寧に書かれた綺麗な文字。でも、ところどころ線が震えている。「勇気がでなくて直接は言えませんでした。ごめんなさい。でも、もしそんなわたしにもチャンスをくれるなら放課後、視聴覚室で待っています。」それだけだ。差出人も書いていない。イタズラだと思うだろうか。いや、少女は勇気を振り絞り、夜も寝られずに書いたに違いない。きっとそうだ。オレンジ色の柔らかい蛍光灯の光に掲げて、透かすようにしてその存在を確かめる。やはり軽い。――つまり、この重さなんだな――僕はうんと頷く。その重さこそ常々僕が尋ねあぐんでいたもので、この軽やかさはすべての善いもの、すべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて僕はこれで幸福になれるのだとストンと得心する。彼女の込めた想いを真正面から抱きとめようと考える。トイレの天井を見つめ、少しの間もの思いにふける。差出人は誰にしようか。
 人が行き交う中で靴を片手に天を見上げる少年の図はなかなかに滑稽だ。
 そもそも下駄箱に靴以外の何かを入れるなんて、下駄箱本来の使い方から逸脱している。恋文を入れたら土で汚れてしまうし、お菓子を入れれば衛生的に問題がある。男子生徒の靴箱に淡い恋心を入れようという輩は、入れた瞬間その想いが異臭を発し始めるのを知らないらしい。
 よかった。僕のことを想う女生徒はそのことを先刻ご承知ずみだ。健全そのものだ。僕はまだ姿を見せない恋する乙女の聡明さに感謝した。つま先で靴を整える振りをして何気なく下駄箱を蹴って足を痛める。胸の内の重石はすでに胃の方までやってきている。お腹をさすりながら僕は教室へと向かった。

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