小説

『焦げ茶のバクダン』守田一朗(『檸檬』)

 そう、例えばこうだ。
 服の裾がぐいっと後ろから引っ張られる。僕は何かと思い振り向く。見慣れたクラスメイトの一人が頬を上気させてこちらを睨んでいる。何か悪いことしたかな、と僕は少し心配しながら、その実、今日という日の用事がどういうものか知っていて、内心ドキドキ期待している。少女は白い息を吐きながらしばらく立ち止まったまま、あー、とかうー、とか意味のない言葉を出してまごつく。首に巻かれた暖かそうな朱鷺(とき)色(いろ)のウールマフラーを左手であげて、口元を隠す。右手は後ろに隠したままだ。そうして逡巡していたかと思うと、ぶっきらぼうに、「はい」と檸檬(れもん)色の包装紙に包まれた箱を僕の胸のあたりに押し付けてくる。「なにこれ?」と僕はわかっていて、恥ずかしがる彼女に聞く。彼女はカーと真っ赤になるまで顔の血色を良くして、「知らない」とそっぽを向いたまま先へ行ってしまう。僕はその後ろ姿を呆然と眺めながら、その手に残った檸檬色の箱をそっと鼻元に寄せて匂いを嗅ぐ。甘い匂いが鼻を撲(う)つ。僕の目の前に、行ったこともないガーナの情景が浮かんでくる。二月の朝早い登下校の道で、冷えた僕の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来た。
 ――そんな乙女がいたらいいな、と僕は自分の手の匂いを嗅ぐのをやめる。なんてことはない、どこにでも転がっている男子学生の妄想と現実の二重写しだ。幻のクラスメイトの存在を振り払い、何事もなかったように歩き出す。誰か知り合いに見られていなかったかなと僕はキョロキョロと周りの様子を少しだけ伺いながら向かい風の中を進んだ。

 校舎までの道のりでは当たり前のように何事もなかった。というか朝早くに道の真ん中でソレを渡す乙女などいるはずもない。ないはずだ。僕はてへっと自分に突っ込みを入れる。百戦錬磨を自称する僕も流石にこの日を迎えて浮き足立ったのか、女子の繊細微妙なそこらへんの心持ちをうっかりと失念していた。緊張でややおかしくなっている。冷静に、冷静に。僕は玄関口で息を整える。同級生たちが訝しがって僕のことを見ている気もする。気にしたら負けだ。若人よ、心を強く持て。
グチグチ内心で自己問答しながら、ようやく校舎に入り靴を脱ぐ。白塗りの下駄箱はところどころはげていてどことなくみすぼらしさを感じさせる。ペンキをそのまま工夫もなく塗りたくったような素朴な色。単純な色彩のなかにも節々に茶褐色の地の部分が見え隠れして、それが積み重ねられた年月の哀愁を生み出している。

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