小説

『母親』中島もらる(『交尾』梶井基次郎)

「君は俺の立場にないから、そんなことが言えるんだよ。君は俺と交わりたいだけで、俺の傷心を癒すつもりも、俺のことをいたわって優しい言葉をかけるつもりもないんだ。実に人間的な振る舞いだ、俺が街を出たら新しい男を作って俺のことなんて忘れるんだろう?」
 女は明らかに気分を害した様子で爪を立てた。睾丸に食い込み、祐作は小さく悲鳴を上げた。
「じゃあはっきり言わせてもらうけど、アンタみたいな女々しい男の子どもなんていらない。私は大学を卒業したら、キャリアを形成して社会の一員として働いていきたい。子供なんて必要ないよ」
 女の発言は睾丸の痛みと相まって祐作の頭に血を上らせた。祐作が今まで押さえつけていた観念が膨張していく。熱しすぎた水が鍋の蓋から漏れ出すように、ゆっくりと祐作の理性を溶かしていく。祐作はとうとう女を無理やり犯そうと決めた。しぼんでいた繁殖欲求が再び膨らむのにそう時間はかからなかった。祐作は女に無理やり覆いかぶさり、抵抗する女の横面を引っ叩いた。
「離して」
 祐作は拒否する女に強引にねじ込もうとしていた。女の金切り声のような絶叫がホテル内に響いたが、それは女の声ではなかった。
 アカカナキリムシの羽音だった。
 やがて警報が鳴りだした。二人がもみ合いを止めて、窓から外を眺めると、既にアカカナキリムシの集団がこちらを目がけて飛んでくるのが見えた。その途端ホテルの廊下を人々が慌ただしく駆けぬける足音を二人は聞いた。
「逃げなきゃ」
 女はベッドから降りようとしたが、祐作に執拗に足を絡められて、身動きが取れなかった。祐作は強引に行為の続きをしようと女に懇願した。
「いやだ、行かないでくれ。せめてコレが終わってからにしてくれ」
「ふざけんな」
 女の声には本気の憎悪が込められている。二人の関係は決定的に破たんしたらしく、二度と修復されることはないだろう。
 そして部屋のドアを夜警がノックした。祐作の初陣が迫ってきていた。
「ここに居るんだろう?」

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