小説

『母親』中島もらる(『交尾』梶井基次郎)

 その計算されつくした行動に祐作はゾッとした。生殖のために最も効率化された行動様式。果たして勝ち目はあるのだろうかと考えていると、上空で交じり合っていたアカカナキリの内、役目を終えたオスたちが落下してきた。
頃合いを見計らい、祐作はバズーカ砲を打ち出した。上空に巨網が伸び出て、アカカナキリは捕らえられた。
すぐにボックスの中に網をしまわなければ、アカカナキリは網を食いちぎる。祐作はボックスに網をしまい入れ、ひとまず周りの様子を伺った。
 辺りでは祐作と同じように、多くの男が朱色の空に向かって網を打ち出していた。受精したアカカナキリの集団は男たちの睾丸を目指す。そこで子孫を残すのだ。今飛び交っているアカカナキリムシは皆卵を腹に抱えた母親であった。交尾を終えたオスたちは骸となって地面に転がっている。触角がわずかに風に揺れていた。
 互いに子孫を残すため、必死に殺し合う両者であったが、男と母親ではやはり母親の方が強いのか、あちこちで男は倒れていった。母親の一匹が男たちの睾丸を引きちぎり、体内へと侵入していく。
 祐作も気づくと、無数の母親に囲まれていた。祐作は初め逃げようとしたが、あまりの数の多さに諦めるしかなかった。数の暴力に勝てるはずもなかったのだ。祐作は抵抗を辞めて、大きな岩の上に腰を下ろした。
 岩の周りではアカカナキリが順番待ちをするかのように列を成している。
 祐作はそのうちの一匹のアカカナキリと目が合った。祐作はアカカナキリの瞳に映る自分を見た。
 俺の見ているこの虫もまた、俺のことを見ている。
 祐作はこの事実にひどく感動した。アカカナキリの雌から俺はどう見えているのだろうか。アカカナキリは祐作の睾丸を見ていた。子供の成育場所として適切かどうか見定めているらしかった。
 どうせ睾丸を噛み切られるなら、この雌が良いと祐作は思い始めている。
 虫と見つめ合うという経験は祐作に新鮮な感動をもたらしたし、子孫を残すために激しく求められるという経験も今までにないことだった。常に祐作は追いかける側だったが、この時初めて追いかけられる側になったのだ。祐作はそれに喜びを感じた。
 祐作は今か今かと覚悟を決めてこの雌を待ち構えていた。
 突然下腹部が灼けるように熱くなった。アカカナキリの突進かと思ったが違った。睾丸に巻いておいたカイロの熱だった。陰毛が焼けるのではないかという痛みが走る。祐作があまりの熱に悶絶して岩の上に倒れこむと、アカカナキリ達は突然蜘蛛の子を散らしたようにバラバラに飛んで行ってしまった。

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