小説

『母親』中島もらる(『交尾』梶井基次郎)

その1
 人間は極限状態に置かれた時、本性を現すとはよく言われるものだが、今の祐作ほどそれを実感している者は居ないだろう。祐作は子を強く欲していた。
「君に子を産んでほしいんだよ」
 女が困惑しているのが息遣いで祐作に伝わった。暗闇の中だから互いの表情は分からなかった。表情を見ないためにこそ、暗闇の中に居るのだから。
「そんなこと言われても、困るな」
 女は拒否していたが、彼のことを知っていたので悲しい気持ちになった。
「君に子供を産んでほしいんだよ。そして僕はそれを育てたくはないし、育てることもできないと思う」
「そんなこと言われると、ますます困るな」
 祐作はそれきり黙り込み、
「どっちにせよ今日は妊娠しないから」
 女はそう言ったが、人間の女は自らの排卵時期がいつで、いつだったら妊娠するのかということを把握する能力が退化しているので、そんな口約束はあてにならない。なんにせよ祐作はもう止まる気はなかったし、女の方も同じはずだった。

 事が終わると、祐作の子を欲する気持ちは少し収まっていた。だがそれは表面的なことであり、少し休憩すればまたどうしようもないほど何かに突き動かされて、この女の内部に侵入しようとするだろう。
 太腿に垂れた精液を女はティッシュでふき取っていた。全て無駄なことだった。彼にも女にも子を育てるつもりはなかった。しかし祐作は子が欲しかった。子がおもちゃを欲しがるように彼は子が欲しかった。
「子供が欲しいよ」
 女は猫がじゃれつくような手ほどきで祐作の睾丸を右手でこねくり回していた。事が終わった後の彼女の癖だった。
「そんなこと言ったってあなたはまだ学生だし」
 女は祐作の態度にうんざりしていた。祐作が無理やり子種を彼女の中に置いていこうとしたので苛立っていたのだ。
 苛立っていたのは本意を遂げられなかった祐作も同じだった。祐作は彼女が事後に睾丸を弄る、彼女のいつもの癖にも腹立てていた。
「そんな風に人のものを弄っていて楽しいのか?皮肉?」
「皮肉じゃないよ。私は貴方が無事に帰ってきてほしいと思ってる」

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