小説

『母親』中島もらる(『交尾』梶井基次郎)

 男はわずかに膨れ上がった自身の陰嚢を撫でながら、顔に似合わぬ優しい口調で言った。男の母親のように優しい顔が、恐ろしいくらい顔の趣向に合っていなくて祐作は男から目を背けた。
「人類も愚直な遺伝子の運び屋としてその生涯を全うすべきだったのだ。だって彼らはこんなにも美しいのだから」
 祐作は暗闇の中に散らばる虫たちの死骸を見て、そう呟いた。隣の男も「そうかもな」と同調した。
 祐作と男は虫たちの死骸を踏み抜きながら森を抜けた。カラスは執拗に死んだ虫を食っていた。
 アカカナキリムシの今冬の大出産は終わった。しかし、また来年、再来年の冬が来れば、奴らはまた大量にこの森に押し寄せるだろう。
 だが、その前に。
 男の睾丸内に住み着いた母親はそこで生涯を終えて、春には彼女の子どもたちが新たな男の睾丸を求めて飛び去っていく。
 そして新たな生の旅立ちはやはり祐作を感動させることだろう。

1 2 3 4 5 6 7 8 9