怯えるエマを自分の後ろにかくまい、ハンスは勢いよく戸を開けた。工房の中は静まり返っており、焦げたような微かな臭いが鼻の奥をくすぐった。
「何もいないじゃないか」狐につままれたような顔をして立ちすくんでいるエマの肩をハンスは優しく抱き寄せた。「夢でも見たんだろう。さあ、ベッドに戻ろう」
「おかみさんに見られたな」二人が行ってしまうと、赤毛のこびとが、さあどうすると言いたげに肩をすくめた。
「そろそろ潮時か」髭のこびとが最後の靴を仕上げながら呟いた。
翌日、ハンスはいつものように工房で作業台の前に腰かけ、革を手に時間を持て余していた。ゆうべの出来事が気になったが、今更後戻りはできない。ハンスはエマが寝ついた頃を見計らって立ち上がった。
「そろそろこの楽しい仕事をお返ししようか」
寝室に向かおうとするハンスの背中におぞましい声が突き刺さった。ハンスがぎょっとして振り向くと、そこには赤褐色の髪をしたこびとが皮肉な笑みを浮かべて作業台に腰掛け、足をぶらぶらさせていた。
「仕事を返すって? 靴は毎晩おれが作ったことに……」
「でも、実際はあんたじゃない」ハンスを遮って銀色の長い髭をたくわえたこびとがぎょろりと目玉をハンスに向けた。「おかみさんにばれるのも時間の問題じゃないのかい?」
「おれにどうしろっていうんだ」
「あんたの中身はもう空っぽだろう。仕事への誇り、物作りの達成感、だれかに喜ばれる満足感――みんな忘れちまった」たじろぐハンスに赤毛のこびとが目を光らせてにやりと笑った。「ちょいと失礼するよ」
ハンスの顔を目がけてこびとのひょろ長い腕が伸びてきた。こびとはハンスの首にぶら下がるように飛びつくと、両肩に膝を掛けてしがみついた。ハンスが声を上げる間もなく、こびとの10本の指がハンスの首の後ろに食い込んでいく。
こびとの姿がハンスの体に溶け込むように透けていくと同時に、ハンスの意識は遠退いていった。
「仕立屋のシュナイダーにはてこずったが、こっちはちょろかったな」借り物の衣装を早く馴染ませようとするかのように、ハンスが鏡の前で体を捻ってみせた。
「それにしても、この町の職人たちはずいぶん簡単に魂を売っちまうんだな」銀髭のこびとがあきれたように溜息をついた。