小説

『エンマの戯』谷聡一郎(『地獄八景亡者戯』)

「なんじゃ、どこぞやの竜神の娘ではないか。そなたが出る幕ではないぞい」
 そう言いながら姥ゴンゲンはおおきな手ぬぐいを彼女の体にかけた。すると雪女郎が、
「まぁ姥ゴンゲンさま。何やらただ事ではないようです。ここはお話だけでも聞いてはいかがです」
「ブハハ、雪女郎の言う通りじゃバァさん!これはただ事ではねぇぜ」
 大天狗は大きくタバコを吸い込んで吐き出した。次に、この娘と親戚であるらしい加茂ノ川ノ主が言った。
「そうですどうしたのです。はっきりおっしゃいなさいな」
 さて娘曰く、今回転落死した若者は、自分が腹を痛めて産んだ実の子じゃというのである。その昔、人の子である若者の父親と夜な夜な逢瀬を重ね、縁があって孕んだというのだ。この父親は有名な猟師で、昔、比叡山に住まう大化け猫を仕留めたほどの腕前だったそうだ。それを聞き姥ゴンゲンが何かを思い出した。
「うむ、その父親の男、覚えておるぞ。昔ヤマンバどもが、端正な顔立ちの狩人がおるといって騒いでおったことがあったのぉ。こりゃ驚いた。しかし、小娘、いやお主だけでない。竜神の娘というのはどうも人間の男と逢瀬を重ねることが多い。全く不埒じゃ」
 姥ゴンゲンが加茂ノ川ノ主を見ながら吐き捨てた。
「コホン、ええ全く、親族の恥でございますよ」
「はい。すみませんおばさま。しかし、私めが愛したのは、かのお方のみでございます。私たちは深い愛で結ばれていたのでございます。そして身篭った大切な我が子でしたが、竜の子が人の世に居れる時間は限られております。我が子がまだ小さい時に私めは人の世から離れなくてはなりませんでした。そして昨晩我が子が死んだと聞き、膨らんだ深い悲しみが私めをここまで連れてきたのであります。おぉ…」
 娘は泣き崩れた。
「おいおい、バカ言えぃ。ただ事じゃねえと思ったらなんだ。ただの若い男女のいざこざじゃねえか。おいエンマやい。こんな情けない願い聞き入れる術はねえぞ。こんな小娘に俺らの尊い論議をひっくり返されたんじゃたまったもんじゃねえ。それにな小娘、悲しみがおめえさんをここに連れてきた?そんなお涙頂戴綺麗事で俺らの心が揺れるとでも思ったか。おめえさんを運んできたのはあの卑しい羅刹どもだ。くそ。あんにゃろうども」
 大天狗はスクッと釜茹で風呂から立ち上がり、そのたくましい体をあらわにし、脱衣所にいる羅刹のもとに向かった。
「やい貴様ら。ここをどこだと思っていやがる。どういう契約であの竜神の小娘を運んできたのか知らねえが、ここは貴様らのような卑しい奴らが踏み入れていいようなあ空間じゃねえんだ。とっとと出て行きやがれ」
「へ、へい天狗の旦那。それはごもっともで」手もみしながら羅刹が言う。

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