小説

『蚊』みなみまこと(『変身』フランツ・カフカ / 『カエルの王子』)

 プランターから窓へ伸びたアサガオが花を咲さかせていた。
 グリーンカーテンを作るとか言って親父が仕込んだのだが、中途半端に茂っているだけだ。
 俺の背後から風を切るするどい羽音が聞こえた。
 とっさに急降下してこれをかわす。
 棘がたくさん生えた腕が俺の真上を通過した。
 トンボだ。
 緑色の目で俺をにらみながら飛び去った。
 人間にとっては毛が生えた足であるが、蚊にとっては無数の棘がつきだしている腕である。あれに捕まったら逃れられない。
 トンボ類は空中にいる他の虫をとらえて食う習性があるのだ。
 俺は、アサガオのカーテンに身を隠そうと飛んだ。
 その目の前にクモが浮かんでいた。
 八本足で目が八つあるクモである。
 なぜ、宙に浮かんでいるのだろう?
「クモの巣!」と俺の知性がひらめいた。
 奴はクモの巣の中央に陣取っているに違いない。蚊である俺の目にはクモの巣が見えないのだ。
 後ろから、さっきのトンボが引き返してくるのが見える。
 まさに四面楚歌、前門のクモ・後門のトンボだ!
 知性ある蚊である俺は考えるしかなかった。
 トンボの飛行速度は速い。
 蚊と比べるとジェット戦闘機とプロペラ機くらいちがう。
 そう交わしきれるものではない。
 俺は一か八か、クモの足下に突進した。
 クモの足下を通過するとき羽の先端が糸に触れた。
「南無三!」
 俺は無事にクモの巣を通り抜けた。
 クモの糸には二種類ある。巣を作っている縦糸には粘性がなく、横糸には粘性があると聞いたことがあった。クモの足は縦糸の上にあると読んだのだ。

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