小説

『蚊』みなみまこと(『変身』フランツ・カフカ / 『カエルの王子』)

 羽が触れたのは縦糸の方だったようだ。
 後ろでは、クモの巣に引っかかって糸でぐるぐる巻きにされるトンボの姿があった。
 我ながら、アニメヒーローのようなアクションシーンだ。
 少し自分を見直したぞ。ただの運動不足の浪人生ではなかったのだ。
 しかし、格好いい、勇気と知性を持ち合わせているとて、俺は蚊でしかない。
 昼間、外をうろうろするのは危険が多そうだ。
 夕方近くになってから移動した方が安全だと思った。
 そのころになるとまた、腹も減るだろう。
 夕暮れ時には血を吸わないと死んでしまうかもしれない。
 適当な子供でも良いが、おっさんとかは避けたい。俺は蚊だから、おっさんのだろうが、おばあちゃんの血だろうが、うまく感じるかもしれないが、人間としての思考が残っているので、出来れば美女の血が吸いたい。
 美女と言えば、近所に住んでいる女子大生、姫野有里香さんだ。
 俺は、二ヶ月前、彼女を見つけた瞬間、血液が沸騰するような衝撃を覚えたのだ。
 毎日、有里香さんの姿を見るだけで、受験勉強の疲れも吹き飛ぶのだ。
 彼女が住むアパート部屋の窓を見上げてはため息をつきながら、彼女が窓辺に立つのを待っていた日々がつづいている。
 有里香さんの麗しいお姿を自分の手元に置きたくてカメラを買ったのもついこの前だった。まだ、使っていないのが悔やまれる。
 この際だから、有里香さんの血をいただくことにしよう。かゆくなるかもしれないが、蚊には蚊の事情があるのでどうしようもない。
 有里香さんから血を吸う。
 出来ればオッパイあたりに留まりたいが、それは難しそうだ。腕が無難か……いや、太股……そうだできれば内側くらいに留まりたいと思った。
 有里香さんの太股の内側にとまり、そこから血を……これって接吻ってことか!
 俺は蚊でありながら、有里香さんの太股の内側に接吻できるのだ。
 蚊になってよかったと心底思った。

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