小説

『蚊』みなみまこと(『変身』フランツ・カフカ / 『カエルの王子』)

 おかしな例えになってしまったが、人間の言葉に表せないくらい幸せな味覚だってことだ。
 蚊になってよかったーと心底思ってしまった。
 夢中で血を吸い上げていると、殺気を感じた。
 口針を抜き飛び上がる。
 破裂音がさく裂した。
 妹が手で俺を打とうとしたのだった。
 あやうくつぶされるところだった。
 妹は、手を開いて俺を叩きつぶそうと狙っている。
「こらーっ! お兄ちゃんだぞ! つぶすなー!」
 叫んでみても、背中で羽が、ぶぶぶぶぶぶぶん~ぶん! と鳴るだけだ。
 血をたんまり吸ったので腹が重たくて動きが鈍い。
 しかし、所詮は女子の動きだ。男の俺から見れば鈍い。
 それに妹の考えていることはだいたい読める。
 相手が狙っているポイントに入らないように飛ぶ。
 妹は眉をつり上げ、無理な体勢で手を打つが、それで俺を捕らえるなんてのは無理なのだ。
 何回か手を打ち鳴らしたが、俺は華麗にそれを回避した。
 妹は俺を見失ったらしくキョロキョロと辺りを見回している。
 いまのうちに退散だ。
 俺は妹の部屋から出てリビングへ向かった。
 リビングへ入ると、息が苦しくなり、体の力が抜けた。
 俺はたまらず床面ぎりぎりまで降下した。
 見上げると、おふくろがタバコをふかしている。
 蚊の呼吸は腹にある気門で行うが、そこからダイレクトに煙が入ってくるのだ。蚊が煙を嫌う理由が体感としてわかる。
 おふくろに見つかったら、スプレー式殺虫剤を片手に追い回されるのがオチである。
 家にいては命があぶない。
 俺は開けっ放しの窓から外へ出た。

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