おかしな例えになってしまったが、人間の言葉に表せないくらい幸せな味覚だってことだ。
蚊になってよかったーと心底思ってしまった。
夢中で血を吸い上げていると、殺気を感じた。
口針を抜き飛び上がる。
破裂音がさく裂した。
妹が手で俺を打とうとしたのだった。
あやうくつぶされるところだった。
妹は、手を開いて俺を叩きつぶそうと狙っている。
「こらーっ! お兄ちゃんだぞ! つぶすなー!」
叫んでみても、背中で羽が、ぶぶぶぶぶぶぶん~ぶん! と鳴るだけだ。
血をたんまり吸ったので腹が重たくて動きが鈍い。
しかし、所詮は女子の動きだ。男の俺から見れば鈍い。
それに妹の考えていることはだいたい読める。
相手が狙っているポイントに入らないように飛ぶ。
妹は眉をつり上げ、無理な体勢で手を打つが、それで俺を捕らえるなんてのは無理なのだ。
何回か手を打ち鳴らしたが、俺は華麗にそれを回避した。
妹は俺を見失ったらしくキョロキョロと辺りを見回している。
いまのうちに退散だ。
俺は妹の部屋から出てリビングへ向かった。
リビングへ入ると、息が苦しくなり、体の力が抜けた。
俺はたまらず床面ぎりぎりまで降下した。
見上げると、おふくろがタバコをふかしている。
蚊の呼吸は腹にある気門で行うが、そこからダイレクトに煙が入ってくるのだ。蚊が煙を嫌う理由が体感としてわかる。
おふくろに見つかったら、スプレー式殺虫剤を片手に追い回されるのがオチである。
家にいては命があぶない。
俺は開けっ放しの窓から外へ出た。