小説

『美希と紗希』山本康仁(『浦島太郎』)

 姿見に映るフツーの自分を眺めると、美希には自分がとても可哀そうに思えた。誰かをイジメたわけでもない。違法行為をしたわけでもない。テレビをつければ詐欺に痴漢、殺人、ドラッグ。自分より悪い人なんていくらでもいる。
 鏡を見つめニコッと笑うと、途端に涙が溢れてきた。
 なんでわたしが・・・。
 はっはっと、押し殺した泣き声が口から漏れる。細めた目から涙がこぼれ、頬をつたっていく。ごほごほと咳き込んで、美希は前屈みになった。
 なんでわたしが・・・。
 もう一度美希は、鏡の中の自分を見た。しかしそこには、相変わらず笑顔の美希がいる。ニコッと笑ったまま、美希を見つめ返している。そしてその右手が鏡の中から出てくると、美希の手首をぐっとつかんだ。驚く間もなく、美希は鏡の中に引き込まれる。
「ちょっと・・・」
 ばたっとカバンが倒れた。
「美希ぃ?」
 お母さんの声がベランダから小さく聞こえる。鏡にはもう、誰も映っていない。

 引っ張られるまま、美希は暗闇の中を進んでいった。静かな中に、足音さえ響かない。ただ身体を包む温かさだけがあって、正しい方向に進んでいる安心感はあった。
 ふいに光りが前方に見える。まぶしい・・・。そう思った瞬間、美希は前のめりにつんのめって転がった。
「痛っ・・・」
 言葉は出たが、実際に痛みは感じない。ベッドの上にぱふぅと倒れ込んだ感触だった。そのまま美希はゴロンと仰向けになる。遠くに青空が見える。白い雲が流れていく。ぬっと、目の前に自分の顔が現れた。
「うわぁっ!」
 美希は慌てて目を閉じる。嘘だ・・・。そう思いながらうっすら目を開けると、やはり自分がまだそこにいる。もう一度、もうひとりの美希が右手を伸ばす。美希をぐいっと引き起こすと、小走りにかけていく。
 見渡すと辺り一面花が咲いていた。菊、桔梗、ケイトウ、菜の花。紫陽花、ヒマワリ、コスモス、ひなげし。四季折々の花が今朝咲いたかのように揺れている。その真ん中に大きな蓮の葉を広げ、もうひとりの美希はパーティーでも始めるかのようだった。揺れる花の波をかきわけ、美希も蓮の葉へ近づいていく。

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