小説

『美希と紗希』山本康仁(『浦島太郎』)

ツギクルバナー

「立花はどこ行った」
 先生は教室を見渡すが、答える人は誰もいない。白い夏服が埋め尽くす中に、美希の席だけがぽっかり空いている。
「体調でも崩したのか」
 そうつぶやき「今日は抜き打ちテストな」と続ける先生は、ようやく「えーっ」という反応を生徒からもらった。

 ひと通り焦ると、美希は神社にいた。冷静になればなるほど、実感は湧かない。まだ他人事のような気がした。昼休憩にトイレで見た検査薬に浮かぶ青い縦棒が、記憶の中でゆらゆら揺れた。
 病院に行く勇気はなかった。確定されるのも嫌だったし、何よりこのまま制服姿で行くわけにはいかない。スマホで調べたら、とりあえず12週までなら大事にならずに堕ろせそうだった。あと一ヶ月は猶予がある。その間に片付ければいい。ぎゅっと目を閉じると、美希は最初に手に触れたおみくじを引く。
『本年は、油断大敵にして百事注意して行動すべし。急いでは失敗を招く。信心を怠るな』
「言うの遅ぇんだよ・・・」
 柄にもない言葉を吐いて、美希は近くの枝に結び付けた。

「塾は?」
 尋ねるお母さんの声に「風邪」とだけ返し、美希は自分の部屋のドアを閉める。塾なんか行く気にならなかった。他のことを考えようと思っても、知らないうちに頭は同じ質問を繰り返している。ベッドの上に寝転がって、美希は携帯のアプリを開いたり閉じたりした。
 妊娠した。
 そんなことラインで送っても、彼は冗談だと思うだけだろう。いつものようにスルーされるに決まっている。やるだけやって、鳴り続けていた携帯に慌てて出て、トイレの中で小声で話す姿を見て、美希はなんとなく気づいていた。ふたりの関係はこのまま自然消滅する。それで良かった。
 案の定、彼からの連絡はあの日からめっきり減った。自分にとってもこの関係は、経験のひとつだった。ふたりの関係が何事もなかったことになるように、お腹に抱えた問題も、そのまま一緒に消えていく。別れはちょっと痛いけど、しばらくすれば忘れてしまう。その程度のもの。薄暗い天井を見上げていると、それが答えのような感じがした。

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