小説

『家族』NOBUOTTO(『牡丹灯籠』)

「お母さんはね、お客さんの顔をみただけで、何が食べたいかピタリとあてちゃうんだから。」
「まあ、望ったら。そんな神様みたいなことはできませんけどね。何かお嫌いなものとかありますか。」
「いや、食べる方はなんでも大丈夫です。」
 一人でゆっくりしたかった草薙には他に客がいないことは好都合であった。
 小鉢で幾皿かの料理がでてきた。確かに草薙の嗜好をわかっているような料理ばかりであった。
 転校したばかりだけど、みんな優しくてすぐに友達ができたこと。けれど田舎の学校と違って東京の学校は勉強がとても早く進んでいくので大変であること。朝学校に行く時にあった猫に帰りにもあったこと。
 望はとても話し好きらしい。食事の合間というより、話す合間に食事をする。
 望の母は、明るく笑い、草薙はにこにこしながら聞いていた。
 初めてこの店に入り望と出会ったのであるが、まるでこれまでずっとこうやって望の話を聞いてきたような気が草薙はした。
 料理を食べ終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「それでは、他にお客さんも来る時間でしょうから、私はこれで帰ります。」
 帰り際に望は手を一杯に振って草薙に言った。
「お兄ちゃん、明日も来てね。」
 とても澄んだ声であった。

 夕方になると、望の「お兄ちゃん、明日も来てね。」という声が聞こえてくる。その声に誘われるように会社帰りに「家庭料理 里」に行き、望の話しを聞きながら数品を食べて帰るのが草薙の日課となっていた。夕暮れ時に行って日がくれる頃には帰るので、他の客と会うことはなかった。
 女将の名前は真紀といった。何回か通ううちに、草薙も少しづつ真紀と望の会話に入ることができるようになっていた。
「草薙さんは、エリートなんですね。T大出て、そこのM商事で働いているなんて。」
 草薙はいつものように少し間をおいて答える。
「いや。学生時代はいつも勉強ばかりしていたので。勉強は得意でした。ただ、自分は、会社では役に立っていないようです。」
 草薙は今日も上司から言われた言葉を思い出すのであった。
 

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