「でもここから呼ばれたのはほとんど確かなんだから、開けて構わないわよね。違ったら謝って閉めればいいんだし、そもそも人がいれば、ついでに外に出る方法くらい聞いたって咎められないでしょうし、それが私の一番したいことだわ」
扉を開けてそっと中に入ると、そこは小さな部屋だった。部屋に入ってまず感じるのは部屋が何から何まで赤いということだ。絨毯は重厚な艶のある赤。漆喰の壁も赤く塗られている。デスクはダークブラウンの木材だったけど、やはり赤地にモザイク模様の布で作られたデスクカバーがかかっている。チェアはワインレッドの革張り。照明はやっぱり薄暗く、窓がないので、昔一度だけ観た記憶があいまいな映画を思い出そうとしている時みたいに、部屋の様子が覚束ない。
「遅いぞ。大遅刻だ。アンナ・K」
デスクの脇に立つ男が上着から取り出した鎖付き懐中時計を見ながら私に言った。この男というのが頭のてっぺんから足の先まで真っ白なので、私は遅刻と言われたことよりもそっちが気になってしまった。真っ白になった髪。これでかなり高齢だと分かるのだけど、高齢の人ならではの真っ白な肌、豊かに蓄えられた口髭と顎鬚も白い。さらに白い上着に白シャツ、白ネクタイ、白のスラックス、白い靴まで隙がない。ベルトまで白いんだから。真っ赤で古めかしい部屋と真っ白な老人のコントラストがまるで肖像画みたい。ああ、でも今、私は遅刻したことを責められているんだった。
「いいえ。お言葉ですけど、私は遅刻なんてしていません。なぜってそもそも私はここに来る約束なんてしていないもの。約束の時間が無ければ遅刻のしようもないでしょう」
「時間があるかないかを決めるのは」
白づくめの老人が、デスクの向こう側へ移動し革張りのチェアに腰掛けながら話す。
「時間自身だ。アンナ・K。だからお前さんはやはり大きく遅れてやってきている。座りなさい」