「そういうわけにはいかない。一度この国に魅力を感じた者は必ずこの国のことを忘れられない。二度とこの国から精神は離れられないのだ。アンナ・K」白づくめはテーブルの引き出しから小さなピストルを取り出した。「さあ、話すんだ。どんな物語なのか」小さなピストルが鉛色に鈍く光る。
「ちょっと、ピストルで脅すなんて酷いじゃない。全然不思議の国らしくないわよ。ノートパソコンまで使っちゃって、それ私の国でも大人気のタイプだわ。皆カフェで広げてるもの」
「業務効率化でね、輸入したのさ。城からの指令はすべてメールで済むようになった。お蔭で伝令をしていた蛙が何人か失業してしまったがね。ああ! 可哀想な蛙達。蛙達が、王室伝令の制服と見事なカツラを身に着けた姿は今思い出しても晴れ晴れしいのに」白づくめは頭を抱えて俯いてしまった。しめた。昔話に入り込むと弱いみたいね。随分おじいちゃんみたいだし、これはチャンスだわ。
「過ぎ去った栄光が思い出されるのね」私は俯いている白づくめに気づかれないようにそうっと立ち上がる。「分かるわ。辛いでしょう」
「ああそうとも。分かってくれるかね。似た話は沢山あるんだ。お茶でも飲みながら話そう」白づくめがそう言うとデスクの上にカップとポットが現れた。その時には私はもうドアの所まで忍び足で移動していたのだけど、白づくめはもう私のことが目に入らないようで、虚空を見つめながらお茶をカップに注ぎ、昔話を始めている「何から話そうか。そうだな。クリケット大会の話はどうだろう? クリケットは知ってるかね。そうか、それはいい」一人静かに話し続ける白づくめを後に、私はそっと赤の部屋から出て扉を閉めた。
「さてと」
私は再び戻って来ることになった、どこまでも続くホールで一人呟いた。
「困ったわね」
でも仕方ない。とにかく歩くしかないわ。ここに居たらまたいつ審査に呼び戻されるか分からないもの。私は左右を見比べ、先ほどドクトルが広げた巻物が続く方向へ歩き出した。でもやっぱり、歩いても歩いてもホールは続き薄暗い。
「こんなに広い建物、生まれて初めて」