小説

『ふつうの国のアリス』汐見舜一(『不思議の国のアリス』)

「大丈夫ですかアリス様! もしや花粉症の発作ですか!?」
 私は、本気で心配してくれている帽子屋さんにジェスチャーで「大丈夫です」と伝え、お茶をグイッと飲みこんで事なきを得ました。
 帽子屋さんから返却されたキャスケットを確認すると、あれれ……? まったく汚れが落ちていません。どういうことでしょうか?
「ご心配なく」と、帽子屋さんは私の心の声に答えるように言います。「帽子の汚れは、ふつうの国に戻ってから落ちます。というのも、この不思議の国は時間が止まっているので、ふつうの国から持ちこんだものに変化が現れるのは、ふつうの国に戻って再び時間が動き出してからなのです」
「時間が止まっている……?」
「そうさ!」とうさぎさんが答えます。「だからこの時計も、ふつうの国に戻ってからもう一回確認してみて!」
 うさぎさんは腕時計を私に返却します。どうやら修理は終わったようです。
「では、最後のお願いを聞きましょう」と帽子屋さんは改まって言います。
「じゃあ、私の名前の意味を一緒に考えてもらえる?」
 私のお願いを聞いて、うさぎさんと帽子屋さんはポカンとした表情で首をかしげます。
 私は、アリスという御大層な名前がコンプレックスであること、そして両親が意味を覚えていない(あるいはそもそも意味がない)ことを話しました。
 うさぎさんと帽子屋さんは真剣に話を聞いてくれました。どうでもよさそうに適当に受け流す両親とは大違いです。うれしくて、ついつい熱く語ってしまいました。
「気持ちは痛いほどわかるよアリス!」とうさぎさんは言います。「僕も名前がコンプレックスなんだ!」
「え? うさぎさんの名前って、えっと、『うさぎ』だよね?」
「そうさ! おもしろみも深みも捻りもない名前だろう? いろいろ語源はあるみたいだけど、中には『薄毛』が訛ったという説もあるんだよ! 僕のどこが薄毛だい!」
「うさぎさんは薄毛じゃないよ。大丈夫だよ」
「そうとも! 僕は剛毛さ!」
 プンスカと怒るうさぎさんを見ると、冗談でもなんでもなく、ほんとうに名前がコンプレックスなのだとわかりました。
 

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