小説

『ふつうの国のアリス』汐見舜一(『不思議の国のアリス』)

ツギクルバナー

 もう車に五時間は乗っていますが、お父さんは「やっと半分くらいかな」と言っているので、さらにもう五時間くらい車に乗っていなくてはならないのでしょう。
いまは春休み中だというのに、私はとても憂鬱です。これが旅行なら、楽しめるはずなのですが、じっさいは新居へと移動しているだけなので、とっても退屈です。
私は今年から中学生になります。そのタイミングで田舎へ引っ越すことが前々から決まっていて、今日がその当日なのです。せめて小学校は地元で卒業させてあげたいという両親の意向で、卒業後の春休みに、私はこうして車にがたがたと揺られているのです。
私は、クラスのみんながくれた寄せ書きの色紙を眺めるたびに、涙が溢れ出しそうになります。「じゃあ眺めなければいいじゃん」とか言われそうですが、そんな意地悪を言う人の言葉は聞きたくありません。
 お別れは寂しくて、悲しいものです。できることなら、友だちとお別れしたくありません。
でも、私の憂鬱は、友だちとのお別れが原因ではありません。お別れは悲しいけれど、憂鬱ではないのです。
 私の憂鬱の正体は、中学校に行って、イジメられるのが怖い――という不安です。
 私は人見知りではありません。勉強ができないわけでも、運動音痴なわけでもありません。きわだって優秀ではありませんが、きわだって駄目ではないと思っています。
 ではどうしてこんなにイジメを恐れるのかというと、名前が問題なのです。
 私の名前は『アリス』。日本人です。ハーフではありません。漢字表記ではなく、カタカナでアリス。名字は田中です。
 最初は気にしていなかったのですが、小学校卒業を意識するようになってきたあたりから、自分の名前にコンプレックスを抱くようになりました。だって、アリスですよ?
 

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12