俺が彼女に文字を教えることがすっかり習慣になった、ある日のこと。
その日、隣国の姫が王子を訪ねて来ていた。王子はいそいそと姫を出迎えに行き、そのまま庭で二人の時間を過ごしていた。
一方の俺はいつも通り、時間に合わせて彼女の部屋を訪れた。名乗ってから、ドアを開ける。
いつもならこちらを向いて待っている彼女が、今日は俺に背を向けていた。窓の外を見ている。そのまま、微動だにしない。
「……あのう……?」
俺は恐る恐る声をかける。数秒後、彼女はようやく振り向いた。
「あ……」
濡れた瞳。……そういえば、この部屋の窓からは、庭が見えるのだった。たった今、王子と隣国の姫がいらっしゃる庭が。彼女が誰かからあの二人の仲を聞いていたかは定かではないが、聞いていようがいまいが、様子を見ればすぐに分かっただろう。
「あー……えっと……僕、今日はもう失礼しましょうか?」
『今日は』と言いながらも内心は、この時間にここに来るのも最後か、と思っていた。なぜなら彼女が字を学ぶ目的は、もう無くなっただろうと思ったからだ。
「じゃあ、これで……」
俺はきびすを返してドアノブを握った――が、
「え?」
彼女に後ろから袖を掴まれて、驚いて振り向く。彼女は俺の顔を見上げて、何度もかぶりを振る。
「……今日も、やるんですか?」
彼女がうなずく。その目は強い光を宿していた。
そうか……
「まだ諦めないのか……」
「!」
彼女が赤面した。
「へ?……あ……すみません!」
心の中で言ったつもりが、どうやら口からこぼれていたらしい。俺は慌てたが、彼女はすぐに落ち着いたらしい。
さっきまでどれだけ泣いていたのかと思うほどの、濡れた瞳で。それでも下を向かず。微笑さえ浮かべて、彼女はしっかりとうなずいた。
「…………」
そんな彼女を見て、俺は。不覚にも。彼女にそこまでさせる王子に、初めて、ほんの少しだけ、嫉妬した。