小説

『人魚に恋した少年』小山遥(『人魚姫』)

 その夜、俺は寝付けなかった。目が冴えてしまったので、なんとなくあのうろこの小瓶を携えて廊下に出た。窓辺でうろこを月光にかざす。
 こうしていると、余計なことを考えずに済むのが良い。……なのに。
 後ろから肩を叩かれる。振り向くと、彼女だった。その顔を見た瞬間、「余計なこと」が蘇ってきてしまった。ため息をつきたくなるが、こらえる。
「……こんばんは」
 彼女は応えるようににこっと笑った。
「どうしたんですか、こんな時間に?眠れないんですか?」
 彼女はうなずいた。まあ、そうだろうな。
 すると、彼女は俺の持つ小瓶が気になったらしい。指さして、首をかしげる。
「ああ、これは……。見ますか?」
 小瓶を差し出すと、彼女はそれを両手で包みこむように受け取った。中でたゆたううろこを見て目を丸くする。彼女の顔にも少し、虹色がうつる。そのまま動かず凝視している。
「……それ、綺麗だと思いませんか?」
 彼女があまりに動かないため反応を催促してみる。彼女ははっとしたように顔を上げて、それからうなずく。
「うーんと……実は、それ……」
 ためらったが、言ってしまうことにした。
「どうも、海で体にくっついたみたいで。人魚のうろこじゃないかって、思ってるんですよ」
「!?」
「いやいいんです、信じてもらえないのも笑われるのも承知してます」
「……!」
 彼女はかぶりを振った。え?
「いや……自分で言っておいて何ですけど、人魚なんて昔、親から聞いたおとぎ話みたいなものですよ?信じるんですか?」
 我ながらひねくれた問いだった。それなのに、彼女は微笑を浮かべてうなずいた。
「…………」
 さらに、彼女は、小瓶を自分の胸元に引き寄せた。そして首を傾けて、顔色をうかがうように俺を見る。彼女の身振り手振りにも慣れてきたので、言いたいことはすぐに分かった。
「え、それ、欲しいんですか?」
 彼女は何度もうなずく。
 うろこが虹色に光っている。彼女の瞳も、虹色になる。
「……いいですよ。どうぞ、差し上げます」
 彼女は破顔した。俺の手を両手で握って上下に振る。
 どういたしまして、と俺が答えると、彼女は笑顔で、うろこを持って部屋に戻って行った。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12