母が選んだ方法は体外受精だった。母はアメリカの精子バンクで精子を買い、体外受精で妊娠することに成功したのだ。母がどんな基準で、精子提供者を選んだのかは教えてくれなかったが、私は日本人に見える顔立ちと肌の色で生まれてきた。それも、とびきりきれいな日本人として。
「なんてきれいなお嬢さん」
私は小さな頃からそう言われてきた。母はすらりと背が高くてスタイルが良いし、デザイナーだからセンスも良くて、どんな服でもにすてきに着こなしたけれど、決して飛び抜けて美人というわけではなかった。だから、もしかしたら母は自分の理想の顔立ちを求めて、精子提供者を選んだんじゃないかと、私は思っていた。
デザイナーとしての美意識で、自分の産む子供の精子を吟味する。母だったら、やりかねない。一流のデザイナーが作り上げた、正真正銘のデザイナー・ベイビーってわけだ。
そう考えるのには、他にも理由があった。私には顔のほかに、まったく取り柄がなかったのだ。ボランティアで精子提供者を募る日本の精子バンクと違って、アメリカの精子バンクでは、スポーツ選手や優秀な医者や数学者、音楽家とか、値段しだいで、色々な才能のある男の人の精子提供を受けることができる。母はお金持ちだ。望めば最高ランクの精子提供を受けることだってできたはずだ。それなのに、私は運動が苦手で、音痴で、成績が悪くて、体も小さい。人からほめられるのは、顔立ちだけだ。
「今日、学校に行って思ったんだけど、麻衣ほど可愛い子は一人もいなかったわ」
授業参観から帰ってくると母は、そう言って私をうっとり眺めた。私は素直に喜べなかった。だって、いくら外見をほめられても、子供にとってそれは、全然自分をほめられたことにならないからだ。私は学校の友達の誰よりもきれいな服を着ていたし、小学校に入ってからは母と同じ美容院に行っていたから、髪型だっておしゃれだった。友達よりもすてきに見えるのはあたりまえのことなのだ。そして、それは全部母のお手柄で、私ががんばった成果ではない。
「麻衣は可愛いから、おしゃれをさせる甲斐があるわ」
母はそう言って、私の服を買うのを楽しんでいた。服のほとんどは、何万円もするブランド物だった。グッチ、ディオール、クロエ、それにドルチェ・アンド・バッカーナだってあった。今の私のお給料では、とても買えないような高い服ばかりだった。
「本当に、なんでもよく似合うわ」母は、新しい服を着た私を満足そうに見つめるのだった。私は、母をうっとりさせるものの正体を知るのが怖かった。私はお母さんがデザインしたきれいなお人形なのかしら? そう思うと悲しかった。
だから、という訳ではないけれど、高校一年の時、私は学校を辞めて家を出た。
あれは、五月の気持ちの良い日。みずみずしい花の香りのする風が吹いていて、私は広尾にある高校に向かって、駅からの通学路を歩いていた。
「あら、麻衣ちゃん、これから学校?」と、声をかけてきたのは、学校の帰りによく行く、原宿と渋谷の途中の裏通りにあるカフェのママだった。それほど親しくしていたわけではかったから、お店以外の場所で声をかけられてびっくりして、「はあ」と間の抜けた返事をした。