小説

『小さな姫の帰還』村越呂美(『おやゆび姫』)

「やあねえ、若いのに覇気のない顔しちゃって。そんなに学校嫌いなら、辞めちゃえば?
麻衣ちゃんだったら、うちの店で雇うわよ、住み込みで」と、ママは嘘か本当かわからない調子の良いことを言った。ママはでっぷりと太っていて、目鼻立ちが大きくて、ちょっと蛙っぽい顔をしていた。蛙ママの言葉を鵜呑みにしたわけではないけれど、私だったら雇ってくれるって言葉になんだか惹かれてしまって、「じゃあ、お願いします」と言って、ついていくことにした。学校にはそれきり行っていない。
 すぐにわかったことなのだが、蛙ママは私が有名人の娘だということを、ちゃんとわかっていたのだ。それで、二十歳になっても家でごろごろしている自分の息子、友哉と私をくっつけることができれば、おいしい話だと思って私を連れ帰ったのだ。
 私は蛙ママの思惑通り、友哉とつきあうようになった。
「お前ってあれだよな、デザイナー・ベイビーってやつだろう?」
 ベッドの中で友哉にそう言われて、私はびっくりした。
「何よそれ、どういうこと?」私がつめよると、
「なんだよ、そんなに驚くことかよ。麻衣のお母さん、有名なデザイナーなんだろ? だからその子供ってことだよ」友哉が答えた。
「なんだ、そういうことか」私はほっとした。母から、私が精子バンクから精子提供を受けた体外受精児だということは、絶対に秘密にしろと言われていたからだ。
「あのね、デザイナー・ベイビーって、デザイナーの子供って意味じゃないんだよ」私は言った。
「なんだ、そうなんだ」友哉はがっかりしたようにそう言って、タバコに火を点けた。
 じゃあ、本当はどういう意味なの? そう問わないところが、物事に頓着しない友哉の良さであり、だめな所でもある。私が友哉から学んだことはひとつ。人は相手の長所を見て、恋に落ちるわけではない、ということだ。恋は相手を選べない。そこが面白くて、怖いところだ。
 母とは時々携帯電話で連絡を取っていた。
「言いたいことは色々あるし、もう少し一緒に暮らしたかったけれど、とにかく、元気ならいいわ。通帳に生活費は振り込むから、売春だけはしないでね」
 母はそう言った。
「お母さんが嫌で、家を出た訳じゃないよ」私が言うと、
「そう、うれしいわ。ありがとう」と母はかわいた声で言った。けれど、帰ってこいとは言わなかった。
 蛙ママは、私と友哉を早く結婚させたがった。
「二人とも学校に行ってないんだから、早く結婚しちゃえばいいのよ。それで、二人で何か好きな商売でも始めたらいいじゃない」
 蛙ママはそう言って、ゼクシィとかをこれ見よがしに、置いていったりするのだった。友哉はママの言うことには、基本的に逆らわないから、ゼクシィのページをめくって、
「このドレス、麻衣に似合いそうじゃん」なんて、お気楽なことを言っていた。

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